2020年8月27日木曜日

意外

公園に行って子供を遊ばせてます。
多くの方々が子供を遊ばせています。

ネットとか見ますと、怖い話が色々出てきますが、実際には、今までのところ、良い人々にしか遭遇しておりません。

子供たちも皆、良い子たちです。
外国人も多くいますが、皆常識的な方々です。

子供たちもちゃんとした言葉で話しますし、躾も行き届いていて、皆さん立派だなと思います。

私は貧乏人がたくさん住んでいる巨大な団地で育ったのですが、自分の記憶では、公園は少し氣が抜けないというか、常に変な人間がうろついているというイメージでした。

今と違って、団地の設計が凝っていて、死角などが多かったので、表ざたになっていない犯罪も多かったと思います(一度大きく改修されて死角が消えて平坦になった)。
普通に14階建ての団地の屋上とかに出れますし、そういうの今の感覚だとやばいですよね。

皆で遊んでいたら、上の方でシンナー吸ってた人がラリって落っこちてきたとか(手すりに腰掛けて吸っていて、そのまま後ろに落っこちたそうですが)、野球してたら、何故かボーリングの球が落ちてきたとか、当時はそんなもんかと思ってましたが、少し怖いですよね。

でも、隣り合う14階建ての2つの団地の屋上に2グループでそれぞれ出て、そこからビニールのボールでキャッチボールしたりとか、楽しい思い出もあります。
携帯とかスマホがある時代にこういう遊びはしないと思う。

時代も違いますから、常識も今と違いますが、子供というのは、どんな環境でも工夫して遊ぶものですね。
それにしても、昔は子供がたくさんいましたから、兎に角すべてがいい加減でした。
学校でもよく殴られましたからね。

私は子供に「学校に行きたくない」と言われたら「行かないでいい」と言うと思います。

2020年8月4日火曜日

テレビ

子供にテレビを見せる親を少し軽蔑していましたが、考えを改めました。

1歳児はこちらが料理をしていても、洗濯をしていても、何の作業をしていても泣いて付きまとってきます。
一人で遊んでいてくれません。
兄弟や親族など、面倒をみてくれる人がいない場合はとても困るわけです。

こういう時、テレビはとても助かります。
録画してあるお気に入りの番組を見せますと、その間はおとなしくしてくれています。
とはいえ、親はその間に楽をしてるわけではなく、何かしらの仕事をしているのです。

テレビやスマホを子供に見せている親のすべてが、楽をしたくてそうしているわけではないのです。
むしろ、近所に爺さん婆さんが住んでいて、子供を一時でも預けられる親の方が、息抜きをする間が与えられます(それでも、その両親はそれほど楽ができる訳ではないです!)。

それにしても、こういったことは育児を自分でしてはじめて知ったことです。
やってみないとわからないものです。

自分では何もやっていないのに気軽に他人を軽蔑するのは止めようと思った次第です。猛省。

ところで、野口晴哉先生は育児をしたのだろうか、という疑問が頭をもたげます。
時代的に、父親が育児をしただろうか。
息子さんとお孫さんの整体指導はなさったのでしょうが、育児をしたとは言えない氣がします。

まあ、天才はしなくてもいいかもしれませんが、凡人はすべきです。



2020年8月2日日曜日

1歳ほどの私の息子が最初に踊り出した時、膝で踊った。
全身では踊らなかった。
以後、腰椎3番で捩じったり、腰椎2番で左右に身体を振ったりして踊る。
それでもとにかく、膝を中心にして踊る。

観ていて、少しづつ膝のこと、身体の繋がりがわかってきた。
膝蓋骨の上がり、膝裏の弛み、足首、股関節、腰椎3番。
これらは骨盤、生殖器への集注。

はたして弛んでいく方向の舞踏は存在しているのか。
弛む方向の動きはもはや舞踏とは呼ばないのではないだろうか。

衰弱に端を発する動きを人は何と呼ぶのだろうか。

活元運動は、積極的な舞踏にも、消極的な舞踏にも成りうる。
消極的な方は、とても人様に御見せ出来ないので、皆で瞑目して行うのだろう。

とはいえ、もともとが健康になりたいというような願望は消極的なものだ。その動きが、修養の中で積極性の動きに転換するのであれば、そこが生命の醍醐味といえるのだろう。

2020年7月18日土曜日

ないない、からの、あった

「ないない」はかなり最初の方から喋っていた。
どうも、私が、しょっちゅう何かを無くし「ないない」と言っているのを真似たようだ。

家に小さい子がいると、部屋が散らかりっぱなしになるので、何処に何があるかわからなくなる。
また、スマホなどは、子供がふと置いたところから勝手に持っていって、何処かに放置するので、とんでもない所に隠されていたりする。
散々探し回って、最終的に冷凍庫の中にあった時には驚いた。

ところで、最近はここに「あった」という語を憶えた。
「ないない」と言って、何か見つけると「あった」と言う。

「ない」は現在形で「あった」は過去形。
何故だろうか。

ひとつの仮説としては、事物への感情の強弱の波の張弛。
対象の事物への感情の執着が現在形「ない」で、その事物の存在を確認した瞬間にその感情は過去になるので「あった」。

時制の核は感情であって、対象の事物ではない。
時制は認識にもない。
感情の変化が認識に成る。
言葉は最後に来る。
言葉を発するのは、両親に対してで、興奮と鎮静の意味を与えて欲しいから。
感情の中を時間が動いているのか、時間の中を感情が動いているのか。
感情が消失しようとするその瞬間に言葉が生まれる。
とはいえ、その言葉はそもそも両親が与えた言葉だ。
ある視覚的な状況が繰り返されている。
その裡を、感情と言葉と時間が、感応して同調して、回転している。

最重要なのは、元々、存在しなかった息子が存在し始めた、我々の驚きや喜びという感情が中心にあること、これが本当に、ないない、からの、あった、という感覚。

2020年7月15日水曜日

寝相

我が家は大人用の布団を三枚敷いて川の字で寝ている。
子供にとっては布団は大きく、寝相としては、くるくる回転している。

テレビの育児番組などで、他の家の寝床をみると、すごく狭かったりする。
親がフローリングでベッドだと、子供も小さいベッドで寝ていたりする。

あんなことで起きている時の偏り疲労がとれるのかなと思う。
子供を小さい布団で寝かすと、無為の動作の訓練にならないです。
自分で自分の偏り疲労をとることができなくなります。

私は小さい時、二段ベッドの上段で寝ていましたが、夜中寝ている時に、そこからベッドの横で布団を敷いて寝ていた父親の上に落っこちてきたと、言われたことがあります。
4歳の時足の骨を折って入院していた時も、夜にベッドから落ちました。
どちらの時も、そのまま寝てたので、記憶にはありません。
でも、そのくらいが正常なのです。

ベッドで寝る西洋人が無意識の構造を発見しました。
それは日本人と違って、寝ている時にあまり身体を動かさないからだと思います。
無意識と言語の構造の相似形などでたらめです。
無意識と就寝家具の構造が似ているんです。
就寝時の身体運動と、言語構造は無関係です。
昼の身体運動と夜の身体運動の差異に注目するべきです。

2020年7月2日木曜日

15ヵ月

整体では女の子は13ヵ月、男の子は15ヵ月までに、大きな病や怪我をしない方が良いとされている。
息子が無事16ヶ月目に入った。
少しほっとした。

この時期の男の子は本当に大変だ。
一時も静止しない。
叫び声が日増しに大きくなっている。
言葉はほとんど喋れないが、こちらの言うことは結構理解している。
空気はとくに敏感に察する。
警戒心が異常に強い。私と妻以外にはまったく愛想を振りまかない。
壁や床にがんがん頭をぶつける。
布団だと真後ろにそのまま倒れるが、怖さを感じてないので、布団の先の畳みに頭を思いっきりぶつけたりする。

公園の向こうの方で遊んでいる同じくらいの年の女の子を観察していると、とってもおっとりしていて、動きもゆっくりしていて、じーっとお母さんの話を聞いていたりしている。
息子はじーっとしていることがまったくない。

育児を実際にしてみてわかったことですが、妊娠中の大変さ、出産直後の新生児時代の大変さ、歩き回れるようになってからの大変さ、はそれぞれ全然違う。
ここまで、氣が休まる時はなかった。
喋れるようになったら、また違う大変さがあるのだろうと思う。

ほんとうに氣が遠くなる。

2020年6月28日日曜日

道具

1才を過ぎてから、道具を求めるようになった。
フォーク、スプーンを使いたがる。
突く、という動作が難易度が低いため特にフォークが好きです。
スプーンは掬おうとしても掬えない。

我々の使っている箸を使いたいようで、真似したがるが、当然難易度が高い。
持って振り回すだけ。
箸というのは日本文化の精髄のひとつと思う。

赤子と小児の境界は箸が使えるかどうかにある。
日本においては箸の使用法はテーブルマナーでなく、技術の修身を証明する。
手に職で食うに困らない、というやつの原初形態。

昔の日本にも匙はあったわけで、赤ちゃんには使っていたと思うけど、フォークに類するものはあったのだろうか。
いまは調べている時間も気力もないのですが、例えば江戸時代の日本人はどうやって赤ちゃんに食べさせていたのだろうか。

ちなみに、私はこの5年くらいはほとんど足袋で過ごしているのですが、たまに靴下を履くと凄い違和感を感じる。
靴下には足袋の解放感はまったくない。
明治の日本人は何故この感覚を簡単に捨てたのだろうか、と毎回思う。
皆そろって、着物も履物も一斉に捨てた。
何百年かそれでやってきたのに。
その時の違和感は、今の自分が感じている以上のものがあったと思うのですが、しかしそれにしても洗脳という水準以上の出来事でしょう。戦争に負けたわけでもないのに。不思議でならない。

話は飛びましたが、道具と人間との関係。
そこに係る民族性、その自覚に関心があります。
歴史的に連続性のある特定の道具が無ければ、民族性は自覚できないのではないかと思うわけです。
民族性によって自己認識できないならば、民族性に代わる自己認識のための道具は法と資本になります。

(追記)箸を最初に使用したのは日本人であるという説がある。何がなんでも中国発祥説を取りたいという人もいる。私としましては、今現在の動作から推測して観ていきたいのです。


2020年6月26日金曜日

偏食

15ヵ月目で突然偏食になった。
まったく肉を食べない。
卵も嫌がる。

お気に入りは納豆と大根とトマト。

魚は細かく砕いてご飯に混ぜると何とか食べてくれる。
それでも吐き出す時もある。

野口先生の言う13ヵ月までの食事で一生の栄養状態が決定される、というのはその後に偏食が始まり、思うように食べてくれなくなるから、というのもあるのかも、と思った。

当面野菜中心で少し痩せたとしても、氣は楽です。
そのうちまた食べるでしょう。
基本ができていれば、後はなんとでもなるのです。

2020年6月19日金曜日

押す、突く、回る、扇ぐ、後ずさり

立ち上がるようになってから、この順番で出来るようになった。
これらの動きは生後1年以上経ってからの動き。

何かに掴まって押す。
とにかく押す。
押しまくる
押すだけ。
それから、フォークなどを持って食事中にとにかく、突く。
突くだけ。
この二つの動き。

それから、手首を回転させるようになる。
空手の型のような感じで、手首を回転させる。
そのうちに、立った状態でクルクル回転して目を回すようになった。

びっくりしたのが、扇ぐ、という動作。
最近はじめてしたが、これは季節の動作なのだろう。
暑かったので、団扇を渡したら、何も言ってないのに、扇いでくれて驚いた。
季節と道具が動作を誘発するのだということを知った。

後ずさり、はよくわからないが、意味も文脈もなく、じりじり後ずさりする。
視覚が変化するのが面白いのだろうか。

ひとつづつ出来る動作が増えていくところが興味深い。
我々大人は基本動作はすべて出来て当然だと思っているが、子供にとってはそれぞれの動きに背景があって、ひとつづつ積み上げていっている最中ものであるということは、忘れないようにしたい。




2020年6月8日月曜日

一体感

男親は子供が生まれてから、子供との一体感を感じる。
お腹にいる時は手出しができないから、生まれた後に抱いていると、一体感を感じる。
女親は子供が生まれる前の方が、子供との一体感があったようだ。

どんどん大きくなるから、母親は長時間の抱っこはつらいようだ。
私にとって抱っこして寝かしつけている時が、重いけど至福の時である。