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2023年7月27日木曜日

季節の操法

散歩していて、30メートル位ある木の梢をふっと見上げると、さらさら揺れていた。
木の梢の動きに合わせて目が細かく動いた。
見上げているので頸椎2番も弛む。
口が開いてポカーンとする。
この季節は目も頭も弛みます。

冬だとこういうことは無い。
葉が無いので、木を見上げても目は固定されている。
寒々しいので余り樹木をぼんやり観ることも無い。

夏は神経を弛める時期。
冬はやはり神経を使う時期です。

季節によって細かい身体運動が規定されています。
所によってもそうです。
都会のビルに囲まれた地域だと、ぼんやり木を見上げることもできません。
エアコンの室外機の熱風も苦痛です。
自然な温度と風と葉の動きが無いのです。
目と頸の動きが固定されます。

都会に住んだら神経衰弱になるのも当然と思います。
そこで向精神薬を飲んでも、トータルでは無意味と思います。

身体と精神に異変を感じる人は、住む処と季節による生活の中での運動を変えるべきと思います。
陳腐な表現ですが、身体は身体外のすべてと共鳴しています。

野口整体の操法は基本的に季節に従います。
「勝手に治る」というのは、意識と意志の外側にあるものとの共鳴を利用するということです。
他動的な体操です。

野口整体の操法を受ければ受けるほど、施術すればするほど、身体とその他のすべての事物との間の理解が深まります。

この季節は何も考えずに動き回れるといいですよね。

2023年5月30日火曜日

開眼と閉眼

開眼時は美に捉われている。
閉眼時は死に捉われている。
耳と鼻はそもそもから死を内包している。
さらに鼻は息に捉われており、境界の確定と律動の強弱が意識を構成する。
口において快不快の時間の先に死が待ち受けている。
赤子を取り上げるのは手による。
死の際で集注するのは息だろう。
産まれるのは喉からで、その泣き声は親の耳へ貫入する。
耳は塞げない。
手であやす。
整体の根本がここにある。
目と耳と鼻は開いている。
口は閉ざされていて、手で触れている。

2021年4月15日木曜日

約3年ぶりの妻の風邪

しばらく前から腰痛を主張。
2日前から風邪となり、観察。

操法。
胸椎5番を中心にする。
詳細は省くが、妊娠出産の氣張りが息子2才の誕生日を境に弛んだようだ。

授乳の関係もあり胸郭が弛まず、それが骨盤にも影響していて、生理不順の原因にもなったと推察。
風邪は胸郭を弛め骨盤を弛めるためのものであると感じた。

腰痛はこの過程の半ばの自覚によるのではないか。
右の風邪だったが、これから、左でも風邪をひくのか、経過を観察する。

風邪の観察はほんとうに難しい。
風邪の理由、腰痛の理由は無限にある。

このような身体観と操法の手順を残された野口晴哉はやはり天才としか思えない。
現代日本人が自力でこのような身体の観方を創り出せるわけがない。
型は伝えなくてはならない。

2021年1月20日水曜日

上頸

息子の上頸。
ふと触れて押さえると、どこまでも入っていくような柔らかさ。
真っ白でまるで手ごたえが無い。

上頸とは頸椎2番の3側。
頭の中を覗いているような感覚。
何も考えてない。

吸収する前のスポンジの様だった。
かつての自分もこうだったのか。今では汚水にまみれているように感じる。

息子に触れていると、自分自身が浄化されていく。
息子の上頸に愉氣していると、自分の脳を洗っているような氣がしてくる。

2020年10月26日月曜日

腹部第4

子供が夜泣きをした。

腹部第4を弛めるためのようだった。
昼に多くの人に会ったのでストレスを感じていたようだ。
感情が鬱滞すると腹部第4が固くなる。
泣けば弛む。
泣くことは必要不可欠なこと。

大人でも必要か?
正直いってそれはわからない。

考えてみると、泣くという行為はとても不思議だ。
何故涙が出るか。

悲しみ苦しみ痛み。
感情が臨界を超えると涙が出る。
それにしても、何故目から水分が出るのか。

夜泣き中、息子はひたすら泣いて叫んでいた。
抱っこしても収まらない。
エネルギーが鬱散され腹部第4が弛むと、寝た。

この腹部第4、固いと、押さえて弛めるのだが、どうやって弛めるか?
押さえて弛むか?
泣き叫んで、やっと弛むものが。

大人はかんたんに泣けない。
子供はかんたんに泣く。
身体の構造が違うからだが。
泣きたくても泣けない大人の身体に如何にして触れるか。考え込むと、よくわからなくなる。
きっと考えないで触れるのが最善なんだろうが、それにしても難しい。

2020年5月9日土曜日

歩き方の変化

息子の現在の歩き方。

足首が細かく動くようになった。
第一蹠骨底に重心が乗る。
外踵が上がる。
そうすると、小指が少し柔軟に大地を掴むように動く。
足裏の皮膚も少し張りがでてきた。固いという程ではない。

この足の変化が呼吸活点につながる。
呼吸活点の動きが、呼吸を支配している。
胸が開かれ、奇声が発せられる。
この声が喉を変える。
腰仙関節と上頸の連動。

こういった繋がりが、はじめはばらばらだった身体に生じるから、異常のある処とは別の処を押さえて、身体を変化させることができるのだ、と再確認。
体運動の構造を観察して把握することが、整体を学ぶ為の王道であることに違いはない。

2020年2月24日月曜日

伝い歩きからの横に座る

立てるようになり、つかまり立ちが出来るようになってしばらくすると、つかまったまま横に移動するようになる。
腰椎2番が動いているようだ。
横に移動するという動作が重要。腰椎2番の3側を腰部活点と呼ぶが、どうも3側より2側の方が先に焦点になるようだ。意外だった。

私が洗濯物を畳んでいると、息子が横に座った。
横に座って洗濯物を畳む真似をする。といっても洗濯物を放り投げるだけだが。

ここではじめて動作を真似た、と思う。
横という感覚が発生する前は真似るという感覚はなかった。

こちらが笑った時に反射的に笑い返す、とかはあったが、なんというか、大人がやっていることを自分もやってみようという感じの真似は、これがはじめてだった。

横に座って(まだ立てないので当然横イコール座るになる)同じ方向を向き、同じ動作をする。
この型をとってはじめて、腰椎2番の3側が動くようだ。
実際にその数日で感情が変化した。

野口晴哉先生の言う、整体操法の時に、実際には厳密に座る位置が決まっている、という感覚の原初はここにあるのではないか。

他人の横に座り、同じ方向を向き、真似をする、同調する、その間合い。
これは腰椎2番で感じるものだ。

横に立つと、横に座るは、違う。
立ってしまうと、何処かに進まなくてはならないため、そこで上下と主従の関係が生じる。
つまり始まりと終わりが生まれる。
新しい時間が発生する。
そのことを否定するわけではないが、それは、まあまだ先の話だ。

息子はまだ二足歩行できない。
故に、実はその親子の間には、まだ主従は存在していない。
一体感だけがある。
この感覚が生じる位置に座る。
操法の時だけでなく、誰に対しても、何時でも、そうするべきなのだろう。

2019年11月24日日曜日

引き締まった力

整体は引き締まっている状態を求めている。
弛めることがあっても、引き締めるために弛める。
弛める為に弛めない。
どうせ死ねば嫌でも弛む。
生かすための整体なのだから、引き締める。
引き締まれば何処にでも行ける。
やりたいことは何でも出来る。

現代社会は、緊張させて、腰を抜かせる。
身体から解放されることが、快楽とされる。
金があれば解放される、とされる。
金には力がある。
だから金を求める。
そして何を買うかといったら、きっとスマートフォンとソファーを買うだろう。
そして頭を緊張させて腰を抜かせる。
金は身体を引き締めない。

ならば、引き締まった身体で金を求めたら、その身体はその金で何を買おうとするか?
これが、私が金を欲しい理由。

2019年2月15日金曜日

父の操法

実家に帰った。

父は3種捩れで、昔から非常に明るい性格だったので、最近暗くなった、と聞いてありえないことだと心配していた。

胸椎6番が焦点。
一昨年、足を骨折、その影響で左右重心の偏りと股関節の異常により、左右型の骨の適応が悪くなった。
胸椎6番は感情の骨なので、動きが悪くなれば感情も停滞する。

会って直接観たらそれ程でもなく、相変わらず明るかった。
しばらく観てなかったが、骨折の影響も軽減していた。
やはり何もしなくても自然によくなるんだなと、生きる氣力があれば。

身体を観ていると、孫たちとの食事の風景が生への動因になっているようだった。
やはり3種は、楽しいこと食べることが重要なのでしょう。
私には3種が入ってないので、昔は父のことがまったく理解できなかった。

3種の基本操法と骨折の処置をした。
いらないと言ったが、やる、というので仕方なく1万円を貰った。整体の勉強をして人間に対する理解が深まってきたからだ。

2019年1月28日月曜日

体癖別基本操法

体癖別基本操法というものがある。
体癖別に決まっている一連の操法の型がある。

これの使い方がわからなかった。
例えば1種の基本操法を1種にすればそれでよい、健康になる、というような単純なものではない。
どのような仕方でどう使えばいいかわからない操法が整体にはたくさんある。

先日師匠が、ご夫婦、夫1種、妻3種、の組み合わせに於いて、1種である夫に3種の基本操法を行ったと聞いた。
その意が、3種である妻の気持ちを身体で理解する時が夫に来た、その為3種の基本操法を行った、とのことだった。

そういうことか、と私はようやく、体癖とは身体の偏りではなく感受性の偏りであり、ましてや体癖別基本操法は病気治しの為に使うものでないということの意味が理解できた。
その為の体癖別基本操法なのかと得心した。

体癖別基本操法はそれぞれの体癖の基本操法で指導者の身体の使い方がまったく違う。
例えば、3種はやはりふわふわした感じ、5種はテンポと歯切れのよさ。7種は量感で、このすべての体癖の身体の使い方を指導者は体現しないとならない。

自分にもともと無い体癖の動きを自分自身がその通り動いて、被施術者に身体で教えなくてはならない瞬間があるということ。

この辺が、他の療術と野口整体の大きな違いになっている。
野口整体の操法は、処と型とその手順を教わりさえすれば、すぐに誰にでも使える、というようなものではない。
このツボを押さえればこれに効く、というようなものではない。
どうしても修養が必要になる。

しかし、古武術などを介した身体操作を修め、古人に近い動作法をすれば、この体癖別基本操法を使えるかというと、それも違う。それは不可能なことだと思う。

以前にも書いたが、整体は真剣を中心とした身体操作法ではなく、自分以外の他者の苦しみという身体感覚を中心に布置された身体操作法であるからだ。
廃刀令(明治9年)以後の身体観が中心になっている、半ば近代的な技であると、私は思う。

だから人間性の幅のみが、これを可能にする。
そして、整体に於いての人間性の幅とは、身体の弾力で、それは、活元運動と相互運動によってのみ身体の上で把握される。

だから、野口先生は活元運動と相互運動を推奨したわけだが、一般の方のほとんどは普段の偏り疲労をとる、という程度の動きしかできない。
ほんとうの活元運動は稽古であり、相互運動は手合わせである、という認識をもたないといけないが、それでは単純に健康法を求めている一般の方には、あまりにも敷居が高いだろうと私も思う。

一方に処と型があり、一方に感覚と即興がある。
そして中心には二つ以上の身体とその運動がある。
実際、ここには治療法も健康法も無い。

深みに嵌れば嵌るほど、野口整体の重要性と廃れる理由とがよく感得できるようになってくる。

2018年12月2日日曜日

平成30年冬の穴追い

師匠に穴追い時にひと手間かけてルートを浮かび上がらせる方法を教わる。

冬場は穴追いの季節であり、一年の大掃除のために行う。
潜在しているものを浮かび上がらせてから、穴追いをする。

浮かび上がった私のルートが、頭部第一から、二、三、四、五、そこから、頚椎2番をくるっと廻って、頚椎3番、そして左の下頸、左肘、左拇指、で終了。

もう、一年は上下の体勢のままで頭を使い続けている。自分でもしんどい。
頭部第一から始まる穴追いは珍しい。

2018年10月19日金曜日

妊娠

師匠、私、妻の三人での稽古にて、私の現在の身体の状況を教わる。

胸椎5から吐き、腰椎1で吐き、弛めようとしている。
腰椎1の左、2種の体勢から、腰椎1右に移り1種の体勢に、そこから腰椎4の右に移り10種の体勢で鬱散しようとしている。

腰椎3の左が仙椎2番に結び付き、頭部第2の左と仙椎2番の左が結び付いている。

ここで重要な2点、頭部第2と仙椎2番の氣の結び付きが、横にいる妻のお腹へと繋がり、三角形を作っている。

状況を説明すると、現在妻は妊娠しており、そのことに対して、仙椎2番における妻への同調と、頭部第2での私の観念の変化、その氣が向かう先が、妻のお腹の胎児ということになる。

10日ほど前に結構な火傷を左腕にしたのだが、それは、仙椎2番に焦点が集まると、火傷をするから、とのこと、それと、その時点での胸椎6での焦りの気持ちが結び付いているからだと。

吐きが強いのは低潮。今の私は吐きが強い。この波は月の波。
今の私の大きい高潮の波はあと、2年半くらい続くはず。
月の波としての低潮期に火傷をした。
(波、は月の波、氣の波、水の波など、さまざまにあり、複雑)

2種の体癖を様々に体勢を組み替えて、全うしようとしている。

その後、妻の操法(この日私は操法を受けなかった)。
自身が逆子として生まれてきたことを乗り越えるための風邪。
胸椎5と7で動いている。
この時の胸椎5は粘膜の風邪という意味の胸椎5であって、本筋は胸椎7にある。
妊婦の胸椎7の左1側の硬結は難しいことになる、と教わっていて慎重に観察していたが、逆子の7番だったようだ。
つまり、妻の母が、妻を出産した時の身体の状況が、現在の妻に生じている。

妊娠したことを書いてもよいと妻に許可を得たので、今後少し記していくことにする。
今回はあえて注釈抜きで書いていったが、普段の稽古では我々はこういった話をずっとしている。何が書いてあるかほとんどわからないかと思うが、真剣にかかわった場合、野口整体は実際にどうやってもかんたんなものになりえない、ということを知っていただきたく記しました。














2018年10月3日水曜日

受胎から出産までの日数

平成16年5月23日の中等講座第二講での岡島瑞徳先生によると、

「受胎から出産までに日数は決まっていまして263日目で生まれる。それに狂いがあったら間違っている。何か身体に狂いがある。最初に胎動があった日から131日目で生まれる」

とのこと。
そして、これは何時の講義か定かではないですが、野口裕之先生の講義要旨によると、分娩予定日として、

「受胎から263日~5日」
「最初の胎動のあった日の翌日から131日目これは胎児への注意を集める方法でもある」

とある。
さらに野口晴哉先生の『誕生前後の生活』(昭和48年)によると、

「やはりちゃんと二百七十三日お腹にいないと駄目なのです」

とあります。
誤植だろうか。
一体、誰を信じるべきか?
それは当然、野口晴哉先生、と言いたいところですが、野口先生は『女である時期』に於いて女性の生理周期が明治大正昭和で変動してきたことを書いておられます。
徐々に短くなってきたようです。
栄養状態の変化か、観念の変化、社会全体のリズムの変化によるのでしょうか?

受胎から出産までの日数も、誰の言うことが正しいのか、というよりも、それはあくまで理想であるということを理解すべきでしょう。
我々は、上述の偉大な先生方のおっしゃっていたことよりも、今の時代に生きて生活している人間を見つめるべきなのでしょう。

古い資料は、やはり参考資料なのでしょう。
帝王切開は駄目で、自然分娩が絶対的に正しいとは、今の時代に生きている私には言えません。
理想と現実は違います。
どこかで妥協せざるを得ないです。

しかし、目前の身体に集注しようとすると、必ず国家が立ち上がる。
国家を思考せざるを得なくなる。
そして日本という国家をこのような形態に変形した勢力に対して思考すべきだとも思う。

私が、身体に着手しようとすると、2種体勢になる、その理由の一つ。







2018年10月2日火曜日

2種に操法ができるのか?

2種体勢が続いている。
上下体勢で他者に触れると、それだけで相手の氣が上がってしまう。

2種の体勢で操法は可能か、操法をする時には9種体勢になるのが普通なのではないか、と師匠に聞いてみた。

突き詰めれば可能なのではないか。
2種体癖の無い、あるスポーツの指導者が2種体勢になっていた。
生徒を指導するために、意識的に自分を消していって自然に2種体勢になっていた。
自分を消す、というところを突き詰めたらいいのではないか。

なるほどと思った。
整体操法は9種のするものだ、というのは思い込みで、他の道があるかもしれない。

とはいえ、師匠は道場に人が入ってくると、その瞬間意識が切り替わって何時でも9種体勢になってしまうようだ、とのこと。

2018年9月19日水曜日

身体の偏り

数ヶ月ぶりに師匠の操法を受けた。
胸椎4番と7番で動いているとのことで、妻と同じ動きだった。
妻の身体の状態が私にのっかっているとのこと。
2種の体勢だと、どうしても他人に同調してしまう。

頭での情報処理が許容範囲をこえると「浮き足立つ」。
重心が爪先に移り、左足の親指が引っかかって歩いていた。そして重心は外に。

重心を第一蹠骨に乗るように操法が方向づけられた。
氣を下げるには、私の場合深息法が有効、と言われる。

限界を超えている自覚はあるがもう少し頭を使う必要がどうしてもある。
やはり、人間はその思考や行動が偏ると、身体を壊すようだ。
とはいえ、社会が偏っているならば、その社会を批判的に思考検討する身体は偏らざるをえないのではないか。

この偏りは、体癖とは本質的に異なる偏りに属するのではないかと思う。

2018年5月11日金曜日

韓国2

前回に引き続き、韓国人の友人の操法をさせて頂いた。
肝臓が独立して変な感じだったので、聞いてみるも、酒も薬も飲まないとのこと。
どうしてなんだろう?と疑問符が付いたままであった。
異常な過敏感があった。

操法後、近所のファミレスで食事をしていると、サラダバーからとってきたトマトに砂糖のスティックを3本、さーっとかけていて、これかあ!と思った。

白砂糖が身体を狂わすことは知識としては知っていたし気をつけて観ていたけど、普段身体を観ている方々は食べ物に気を使っている方ばかりなので、わからなかった。

謎が解けてすっきりしたところで朝鮮半島の話を聞いた。
韓国の韓国人で半島が近いうちに統一すると考えている人はほとんどいない。
あったとしてもこれから10年くらいかけて段階的になされる、とのこと。
経済的には、統一することは人口が増えて8000万人近くになるので、自国だけで経済が回せるようになるので、プラスである。
北朝鮮の公共事業ができるので仕事も増える。
どの程度の数の韓国人が、統一に賛成なのか?割合は?と聞くと、一人一人に聞かないと本音はわからない。

私が一番びっくりしたのが、半島の統一の主導権がどうなるかというところ。
公共事業をするとしてそれは日本がすべて金を出すんでしょ?と聞くと、彼は半笑いで、韓国に日本は戦後賠償した。しかし北朝鮮にはしてない。今、先に統一してしまうと、日本から南北朝鮮は賠償金を取れなくなるので、統一はしない。
韓国主導でも統一できない。日本から金が取れなくなるから。だから北朝鮮主導で統一は行われる。
北朝鮮が日本から賠償金を取ってから統一される。

なるほどねえ、と思った。
文大統領が北朝鮮に弱腰なのは、そういう意図もあるのか、と。
私は単に文大統領は北の工作員だと思っていた。

もう一つ財閥の話も面白かった。
海外の大学に入った韓国人は優秀でも財閥系の企業には入りにくいと。
というのは、ソウル大とかになると先輩後輩の学閥があるので、何かあったときに護ってくれると、故郷が一緒だったりすると、それはもう強いと。
その人たちでガッチリやっているから、海外の大学に行っていた人間は何かあったときに、自分(財閥の企業の社員)のことを護ってくれないので、採用したがらない。自分の出身地や出身大学の人間を採用したがると。
その人たちで護りあっているとのこと。
だから海外へ出て行った優秀な韓国人が国内へと還元されない。

へえ、と思った。
でも、韓国人はみな、本音では財閥に入りたいんだって。

なんであれ本音が聞けてよかった。
ご飯もご馳走になって、その後は府中のくらやみ祭りにまで車で送ってもらって、とても楽しい時間が過ごせました。

2018年4月4日水曜日

整体に型はあるか、ないか?『練習の仕方について(昭和32年9月13日)』

私は師匠から、「整体に型はない」と言われてきた。
それは師匠の実感からの言葉だ。
人を元気に出来ればなんでもいいということ。
整体のすべては氣によっている。

それはともかく、野口晴哉先生は、『練習の仕方について』という講義で、「練習は気楽にやってはいけないんです。生きてる体をかりるんですから、一つでも無駄のないようにやって頂きたいと思う。で練習の中で型をやる人は型というのは自分の体の癖をつけるんです」とおっしゃっている。

ここに野口先生の型の理解がある。
「自分の体に癖をつける練習。場所を覚える練習。それから呼吸と一緒に動作する練習、この三つが基本的な練習」とのこと。

この後、「素人の域を脱する」水準の操法の焦点を見つけ出す観察と設計の必要を説明し、そして「そこから今度は玄人の問題で、今度は人間の構造の観察が深まるに連れて操法する急所が変わってくるわけです」とある。

しかし、野口先生は前段でこうも言っている。
「押さえるというのは指の力で抑えるのじゃなくて、気合なんです。指でやる気合なんです。私は昔指を当てエイッと気合をかけて、そして操法をしておりました。段々気合を略しましたが略した気合を今度は指へ集めている」。

野口先生の言っていることは矛盾しているようだが、これは明治以前からの気合術の流れと、明治以後の海外からの医学的知識や技術も織り込んだ民間の療術との二つの相容れることのない技術体系が野口整体には混在していることによる。

私の直接の師匠は前者気合の要素が強く、そのため型はないと言う。
岡島瑞徳先生は後者明治以後の海外からの技術も含めた民間療術の要素が強かったのではないかと思う。

ここで「技(ワザ)」と「方法」の差異を明確に定義する必要があるが、端的に言うと「技」はマニュアルではなく教わった誰にも出来ることではなく、そもそも「技」を教授する際において均質な身体を前提としていない。
「方法」とはマニュアルであり、平均的な身体であるならば誰にでも適用可能なものだ。
そして明治以前の日本には均質な身体など存在していない。

岡島先生は比較的にではあるが「方法」の人であったと言える(その技術のすべてが、というのではない)。
師匠はあきらかに「技」の人なので、「型はない」と言ってしまうが、私のような凡人凡才は型がなければ「技」の内容が充実することはないよ、と思う。

ではかつての「型」は何処にあるのかというと、治療行為につながる操法の型は意図的に消去されてきた歴史がある。

つまり整体とは、真剣が中心におかれた身体操作術である古武術の型とは違って、治療のための型の歴史であり、つまり眼前の苦しむ人に対する人間性の発揮が型の中心となる。

ようするに、始めに氣があり、身体操作は二の次であり、しかしそれは明治時代以前の日本人固有の動作法を当然のこととして共有しえた時代の日本人の日本人による日本人ための氣であって、ポリティカルコレクトネスに毒された現在の日本でその氣を再現するのは不可能に近い。

2018年2月6日火曜日

氣の残像。氣の動き。氣の時間。氣の間。氣の言葉。

一日の裡にお二人の操法を偶然(?)見学。
快く見学を許可して頂いて感謝しています。

おひとりは過去の打撲。
インプラントの影響とのこと。この時期は股関節顎関節が動き出すので、このあたりの打撲の影響が表に出てくるとのこと。
動きを観させていただいたが、私には打撲の動きには見えなかった・・・。
20年前の打撲とのことで、腰椎2・3間と3番の左1側に愉気をしたが、なんとなく漠たる感触が雲の下にあるかのように感じた。
そして未来の身体の動きへといたる、氣の動き。その氣の残像へとその方の動きを誘導し、言葉によって方向づけ、確定する。
とはいえ、強制的な誘導ではむろんなく、その方の身体が求める欲する方向へと指導する氣の方向を阻害しないための操法全体の流れ、それ支える身体捌きに圧倒された。
操法後着手しても変化が認識できなかった。
師匠は「もう骨を対象にしてないから」と言っていた。

もうおひとりは表面上は胸椎4と9番。そこに11番が隠れている、とのこと。
詳細はここには書けないが、師匠の操法は本質的にはその方の「今の身体」への働きかけにあるのであって、過去の因縁や、未来の統制理念などから方向づけられるものでないことを理解した。
操法前と後で着手しましたが、こちらは呼吸と氣の変化がはっきりわかった。
9番での氣のひっかかりがなくなっていた。

氣の残像。しかしその氣の残像はどの時制に属するのか?

すべての始まりはその方の「今の身体」にある。
言葉にするとどうしても安直な印象を受けるが、それらが実際に個別の明確な技術に支えられていることが認識できると、眼前の操法の光景の印象の濃度はまったく違って感じる。

こういった操法は師匠独自のもので、他の人間が真似できるものでない、とも感じた。
本当に印象深い一日でした。


2018年2月3日土曜日

花月操法

たまたま丁度の間で、花月操法がその日その時必要な方がいて、師匠が「胸椎978で動いてますね、それと腰椎3と4で」とのことで、ご好意で見学させて頂いた。

花月操法とは骨盤を開いて、生理を止める操法。
なんとなく閉経になると一気に年老いるような感じがしますが。実際には、だらだら生理を続けさせず、すぱっと閉経を迎えると、「真空パック」のような感じでそこで肌のハリなども保たれるとのこと。

花月操法をしましたら、実際に、肌が薄く白くなり、目も開いてきて大きくなりました。
その方もすごく喜んでいました。

じーっと正座をして操法を観ていましたが、手順は以前に教わっていたものの、本当に必要なその瞬間の操法は稽古とはやはり違います。
勉強になりました。

もう一つ、一連の操法を観ていて、やっていることが漠然とわかるようになったが故に、やはり自分には師匠のようには出来ないなと思いました。
真似できない。

自分には自分の操法があり、その道を行くべきだと思いました。

2018年1月22日月曜日

韓国

妻の友人夫妻を操法させて頂いた。
奥さんが妻の友人で、その旦那さんが韓国人。
90年代に留学のため来日して、それ以降日本に住んでいる。

操法の以前に、韓国人の身体に興味があった。日本人と違った印象を受けるのかな、と。
事前に師匠に聞くと、操法の上で「スペイン人とかヨーロッパ人もおんなじ人間だから反応は一緒」とのことだったが「外国語の中に居るからストレスで頭が疲れてる」とのこと。

その旦那さんに着手すると、意外にも凄く繊細な感受性をされていてびっくりした。
断定はしないけど、捩れ型というよりは前後型の雰囲気の方だったからか。
それにしてもやはり偏見は良くないなと思った。
着手して相手の身体を感じてみないと、何もわからないままに人生は過ぎていく。

操法を終えて食事をしながら韓国の話を聞いたが驚きの連続だった。

子供の頃、犬の肉を普通に食べてたけど、ある日父が犬を連れて帰って飼い犬を買ってきてくれたと思って「わーい」と喜んでいたら、次の日にその犬が鍋になって出てきた、とか。
犬は裏山で父が殺すんだけど、近所の人も一緒に行って(食べきれないからおすそ分けする)、殴って殺す(絞め殺すと肉が硬くなるから)そして、焚き火で毛を焼いて袋に詰めて帰ってくる。
肝臓は生で食べるから、父の口が血で赤く染まっていて「ドラキュラだ」と思ったとか。
その犬肉を捌く母を怖くて正面から見れなかったとか。
近所のおじさんは猫も殺して食べていたとか。さすがに猫は祟るという観念があるみたいで年寄り以外は食べないとのこと。薬のような感覚で食べていたみたい。猫はさすがに驚いた、と言っていた。
父はネズミも素手で捕まえて殺していた(ネズミは食べない)。
周りの家も皆、犬肉は夏の暑気払いの感覚で食べていた(日本の鰻のような感じで)。
中学生くらいになると、なんとなく自然に「これはおかしい」と感じ出したとのこと。
現在はとくに若い女性が犬食を嫌がるから、男性も女性に合わせるので食べる人はあまりいないと。
でも未だに、路地裏の店に行くと食べられる。ただ表の看板とかには犬鍋のことは書いてないよ。

これが、現在50代前半のソウル生まれの日本に留学できるくらいの社会階層に居た方の思い出だから、田舎の方はもっとすごかったんだろうな、と思った。
まして、北朝鮮は・・・。

また親戚が朝鮮人参を栽培していたのもあって、家にたくさん朝鮮人参があり、子供の頃食べまくっていたと、そして食べると身体が熱くなってくると。
それで自分の唇は赤いんだ、と言っていた。
確かにすごく血色が良い。

声が大きく、話術も巧みで笑いっぱなしでした。

すごく親切な方で、食事後は、「イルミ(ネーション)見に行こう」とわざわざ川崎からお台場まで新車でドライブをしました。
最新の外車の機能もまた凄かった。
新車はすごく快適で、眠ってしまいそうでした。

お台場で、興味しんしんの私は、徴兵された時の軍隊の話を聞いたわけですが、「楽しかったね」とのこと。
「えー!?」と言うと、「今から思い返せばですけど」。

日曜日休みなんだけど、休みの日も自由にできない、お前ら自由にしていいというわけにいかないから、スポーツする。皆若いから疲れさせるほうがよい、でないと、彼女から手紙が来ないとか色々考えておかしくなるやつがいるから。
それで40人くらいでボール3つで一つのコートでサッカーやる。もう無茶苦茶だよ。と言って笑った。
2年半の兵役中、一年に7日だけ休みがあって家に帰れる。だから結構楽だったよ。
今の若い人の方がたいへんだよ、スマホももっていけないから、機密情報とか流出しちゃうからね。

いかにも、という感じではないけど、どこか3種っぽいなと感じていて、感性が柔らかくて大らかだった。
本当に良い人で、お台場で記念撮影して、ぶらぶらしてからまた車でお台場から川崎に送って頂いた。

私は政治問題にもそれなりに関心があり、日韓の政策にも色々と思うことはあるが、整体を志すものとして、自分の手で直接感じたことを優先して自分の思考を組み立てたいものだと思う。
この日は本当に多くのことを学んだ日だった。