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2020年5月19日火曜日

二から三

よくしゃべる言葉。

ぱっぱっ
まま
ないない

ぱっぱっ、は何にでも言う。
妻が私をパパと呼ぶのをよく聞いているから、ぱっぱっと言うのだと妻は言う。

ここに最近加わったのが。

てぃってぃっ
わんわん
にゃあにゃあ

てぃってぃっ、は興奮した時に使うことが多い。
じょじょに言語が分節されてきた。
視覚対象と発声の身体内(脳内ではない)での繋がりが出来てきたようだ。
頸で観ていくと、頸椎2番と5番の繋がりということか。

何故か2音での発声。
2は、始まりと終わり。
始点と終点。
反応。
交合。
これらを意味する、というより、意味が音を追尾してくる印象。
動作、行動の後を意味が追ってくる。
親からはそう観える。

1音というのは悟りの音だと思う。
そこに意味はない。
意味が音を追えない。
空間がない。

最近3音言えるようになってきた。
私たちが、てぃってぃってぃ、などと言っていると、てぃってぃってぃ、と真似して言う。
3は生産。
追尾してきた意味が、音に繰り込まれる。外から。
おそらく、音の遊びは3から始まる。
4になると一度円環が閉じて、安定する。
5でもう一度爆発するだろう。

2020年5月1日金曜日

音楽の趣味

息子1歳においての音楽の趣味。

竹村延和の『子供と魔法』が好きで、何度か聴かせていたが、これが反応が良くない。
子供は好きではないのだね、こういった作品は。
どうも細かい音の変化が聴き分けられないようだ。

コルトレーンを聴きながらご飯を食べさせていると(私がずっとメロディーとコードの動きに集注しながら、食べさせていたというのもあるのでしょうが)あるポイントで呻きだす。
うるさくて嫌なようだ。視覚でも何かを目で追うとき、動きが速いと眼球の動きがついていかない。
本人には消えているように見えるみたいだ。
音も同じなのだろう。
耳が音についていっていないようだ。
速度が速いと認識できない。

スタン・ゲッツならいいかと思い、CDを替えて音楽を流すと(また私が音楽に集注しだすわけですが)、始めはいいのですが、途中で飽きだす。

クラシックは概ね聴き流せます。

マイケル・ジャクソンは結構楽しんで聴けるようです。
ジャクソン5も聴けます。

初期の松田聖子は眠る時に何時もかけています。
子守唄です。

ようするに、モータウン?
ソウルミュージックは違和感なく聴けるようです。

再生芸術としては、所謂大衆音楽における音域と感情の配置が聴きやすいのでしょう。
聴きやすく作ってるからね。
聴きやすいものは聴きやすいのだね、やっぱり。

それから、大のお気に入りが、やっぱり童謡!
反応が全然違う。
とくに山野さと子さんという方の歌声が好きみたいだ。
私も一緒になって童謡を聴くのですが、これが面白い。
発見がたくさんある。
とくに詩が面白い。
へぇー、と思うようなことを歌っている。
童謡や唱歌はドラッグが関与していないところもよいのだと思う。
サウンドが独りよがりにならずに丁寧な印象。
媚びているわけでなく、ひたすら丁寧に作りこんでいる。
音数が少なくメリハリがあり、長調で聴きわけやすいところに音を置いている。
異常ではなく正常を基準としている。
というより、子供に向けて作品を作ると、その作品は正常になる、ということのようだ。

2019年11月2日土曜日

変な音

サランラップの芯に口を当てて、もう一方を息子の耳元に当てる。
そして「ぶおぉぉぉおぉぉ」と低い声で音を出して聴かせると、恐怖の表情を浮かべ、凄い勢いで泣き出した。

いかにも怖い不気味な音を聴かせると、本当に怖がるんだな、と思った。
先入観などではない。
やはり誰しも生まれつきに本能的な音感が備わっているのでしょう。

生まれつきのもの、自然のもの、本能的なもの、を否定する思想や芸術には距離を置いて一考すること。

2019年10月9日水曜日

バルトーク

スマートスピーカーに、なんとなく「バルトークの曲かけて」と言った。
かかった曲が気持ち悪くて聴けなかった。
昔はバルトークが好きだった。
私は現代音楽一般、不協和音が好きだった。
子供には「ミクロコスモス」を聴かせるつもりでいた。
ここ最近、不協和音が余り聴けなくなった。気持ちが悪い。
自分で自分に驚いた。

野口晴哉先生が調和の感覚を教えるためにお腹のなかの胎児に音楽を聴かせるという話があるが(きっとバッハとかであったのだろうと思うが)、それを昔の私は保守的だと思っていた。
調和の感覚、なんて嘘くさいと思っていた。
野口先生は19世紀の人だ、と思っていた。
自分は21世紀に生きている、と。

かつてのより、現代の不調和を調和とみなす感覚の方が進歩していると思っていた。
だかしかし、今ではやはり調和という感覚は太古より不動で普遍に偏在している、と認識を改めた。
それは、古びることなく、いつまでも、ながらく、ずっと存在し続けている。

たんに、調和、が正解で、不調和、は間違い。
音響に於ける狭義のハーモニーの話ではない。

野口先生は、時代の制約ではなくて、最初から身体感覚で本当の調和を実際に知っていた、ということなのだと思う。

四十を過ぎてやっと、自分が自分以外の存在と共鳴して別の存在に変容する、という感覚に合焦することができた、と感じる。
目でなく、耳と、皮膚と、皮膚としての目、が変わったのでしょう。
赤ちゃんには強烈なるカリスマ性があります。
赤ちゃんが基音になり、そのうえにすべてが積みあがっていきます。

2019年4月26日金曜日

新生児のサウンドトラック2

新生児とは誕生後1ヶ月までの赤ちゃんのことをいうそうです。
もう新生児ではなくなりました。

2週目から4週目によく聴いたCD。
選択は結構適当になっていった。1~2週目と比べると、聴けるものの幅が拡がった。
少しは歌ものが聴けるようになった。
宗教音楽よりはやはり気軽に聴けるようなものがよかった。シリアスなものは疲れる。
ノイズは聴けない。
というより、赤ちゃんの泣き方、呼吸の間、と抱いたときの音源の鼓膜との近接感が、そもそものノイズの起源ではないかと思った。
ノイズを出している音楽家は赤ちゃんの時に泣ききれなかった人が童心に帰っているのかもしれない。
それを考えると、ネガティブな意匠をまとうノイジシャンの立処に別の角度から光が当てられる。
ドローンやミニマルは好きなのだが、妻が嫌がるのでほぼ却下となった。

これから先、どのような音楽に子供がどう反応するのか、興味が尽きず、楽しみでなりません。

william basinski「silent night」
cluster「curiosum」
LEVEL「SYCLA」
k.leimer「music for land and water」
blokeback「morse code in the modern age:across the americas」
takagi masakatsu「airs note」
「風の谷のナウシカ オリジナルサウンドトラック」
「kankyo ongaku: japanese ambient,environmental & new age music 1980-1990」

2019年4月11日木曜日

新生児のサウンドトラック

生後2週目位まででよく聴いたもの。
生後2週目までは目を守るため、この世界に目が馴染むまで特に部屋を暗くしていないといけなかったので、新生児と一緒にいる時間はスマホや本なども読むことが出来ないため、することがない。起きている時はずっと音楽を流しっぱなしにしていた。

かけていた曲は、私の趣味であり、赤ちゃんが嫌がることなく、また妻の許可が得られたものであった。3人の感覚が一致したもの。
それが以下のアルバムなのですが、順当でもあり以外でもありました。
レコードで所有しているものは寝室では聴けませんので除外。CDで所有しているもののみに限りました。

ビートがあると聴けない。
電子音は注意深く音色を作らない限り苦痛。
呼吸が長く、時間の感覚が失調する方が聴きやすい。
クラシックは速度が速い曲が多いため聴けない、部屋の雰囲気が変化しすぎる。
ジャズはうるさい。
短調が作為的に聴こえる。
無調は聴けない。
トゲがあると聴けない。
言葉は無い方がよい。
不思議なことにビートルズは静かな曲に聴こえた。とくにポール作曲のもの。
3人がそれぞれ勝手に調子を把握できるものがよいみたいだ。

結論。
やっぱりENOは鉄板だった。


brian eno 「music for airports」「on land」「apollo」「the pearl」
stars of the lid 「stars of the lid & their refinement of the decline」
a winged victory for the sullen「a winged victory for the sullen」
ローデリウス「愚者の庭」
「ツイン・ピークス オリジナル・サウンドトラック」