2019年2月22日金曜日

椅子に座るべき

TVをつけますと、某局のニュースの女性アナウンサーが妊娠されているようで、大きいお腹でニュースを読んでいます。

妻がこのニュースを観ているといつも「あのアナウンサーは座るべき」と言う。

妊娠中は椅子に座って、仕事をすべき、だとのこと。
でないと妊娠中の立位のたいへんさが一般には伝わらない。

妊娠経験の無い人に、あれが普通と思われるから、みな辛い思いをする、とのことです。

産休に関しても、企業によってさまざまな制度があるのですが、ほとんどの企業では8ヶ月くらいまで働かないと、取れないです。

ほんとうは妊娠初期の方が、ゆっくり休むべき時なのに、働かされます。その仕事も昔のようにお茶くみとかならいいでしょうが、最近はPCなどでの眼を使う仕事が多くなっているので、無茶です。

妻も、自分のお腹が大きくなって、電車で座れないたいへんさが始めてわかったと言っています。

本来は妊娠が確定して、本人に生む氣があるなら、その日から有給で産休が取れるように法律で規制すべきだと思います。
少子化の対策をほぼ一切しないで、労働人口が減ったから、国外から移民を流し込もうという発想には許しがたいものがあります。

とにかく、まず妊婦は座らせるべきです。

2019年2月18日月曜日

胎動、活元運動

妊婦の体験談を読みますと、臨月が近くなるとお腹の赤ちゃんが中から蹴るといいます。
肋骨まで蹴られるということもあるようです。

うちの子はあまり強くは蹴りません。
痛いくらいに蹴飛ばすことはない。

赤ちゃんがよく肋骨まで蹴るのは、居心地が悪いからではないかと仮説を立てています。

活元運動でもやり込んでいると、動きが細かくなります。
畳の上を転がりまわったりなどしません。
初心の方は、自己の開放ということですから不随意に動ければそれでよいです。天心で動けば。

しかしやり込めば統制がとれてきます。
天行健といいますが、天心には統制があると思う。

この統制ですが、意識が覚醒しているときの随意の身体運動がある程度固定されているなら、無意識に集注している時の不随意の身体運動も、当然のことながらある程度固定化されます。
一般的には、この意識と無意識、随意と不随意の統合という、活元運動に対する解釈でよいと思いますが、私はほんとうには身体というものは、意識と無意識のふたつの領野に分解できるとも、跨るとも思っていません。

胎児の胎動は活元運動ではないかと思う。
これが運動の初発であって、終点。

胎児には意識も無意識もない。
随意も不随意もない。そのふたつがじょじょに分離すると言われているが、私は信じない。
その身体は母と一体になっていて、世界から孤立していない。
その時の記憶を人間が忘れるはずがない。
誕生の瞬間から、母と切り離されるとされているが、私は人間が他者から孤立することは、ほんとうはありえないと思っている。
孤立すると自立できない。

母親が指導者であるから、母と子二人きりでの胎児の運動速度にあわせた散歩が胎児に対する指導になる。
母による指導が行き届いていれば、肋骨を痛いほど蹴り上げるような活元運動はしないのではないかと思う。
妊娠状態とは相互運動です。

相互運動で他人の身体を蹴っ飛ばしたりしないでしょう?

2019年2月15日金曜日

父の操法

実家に帰った。

父は3種捩れで、昔から非常に明るい性格だったので、最近暗くなった、と聞いてありえないことだと心配していた。

胸椎6番が焦点。
一昨年、足を骨折、その影響で左右重心の偏りと股関節の異常により、左右型の骨の適応が悪くなった。
胸椎6番は感情の骨なので、動きが悪くなれば感情も停滞する。

会って直接観たらそれ程でもなく、相変わらず明るかった。
しばらく観てなかったが、骨折の影響も軽減していた。
やはり何もしなくても自然によくなるんだなと、生きる氣力があれば。

身体を観ていると、孫たちとの食事の風景が生への動因になっているようだった。
やはり3種は、楽しいこと食べることが重要なのでしょう。
私には3種が入ってないので、昔は父のことがまったく理解できなかった。

3種の基本操法と骨折の処置をした。
いらないと言ったが、やる、というので仕方なく1万円を貰った。整体の勉強をして人間に対する理解が深まってきたからだ。

2019年2月14日木曜日

妊婦最強ではなく

昔から妻は街で妊婦をみかけるたびに「妊婦が世界で一番幸せな存在、妊婦最強!」と言っていた。

しかし、今回自分が妊婦になり、考えが改まったとのこと。

「あれは間違いだった。胎児最強だった。妊婦は器にすぎない。ほんとうには胎児最強!」だそうです。

このことを聞いてから、街で歩く妊婦は、大事に赤ちゃんを育てながら移動させている人、という感じに観えるようになった。
女性のお腹でぷかぷか浮遊しながら、移動しているちいさな人、が主体。
その何も考えていないちいさな人を中心に、大人の世界と未来が動いているというのが本当のところなのでしょう。

2019年2月13日水曜日

紙一重

SUSUMU YOKOTA さんのアルバムに『SAKURA』というアルバムがある。
若い頃から好きでずっと聴いていた。

先日、このアルバムを流しながら、妻の操法をしていた。

もう亡くなった方の、そして私が若い頃好きだった曲を聴きながら、その頃はまだ会っていなかった妻と、いまだ誕生前のお腹の子に、愉氣をしているのが、不思議な感じだ、と告げた。

そうしたら、生と死はそんなに違いがない、と言われた。
陳腐な言葉だけど、この時は説得力を感じた。

一体、自分が生きてるのか、死んでるか、過去を生きてるのか、未来を生きてるのか、よくわからなくなる奇妙な感覚だったから。

もう死の側にいる芸術家の裡なる美の念を感じながら、これから産まれてくるお腹の子の生の勢いに集注していると、私と妻の存在が消えていく。

我々が死の側にいて、彼らが生の側にいるような。

2019年2月11日月曜日

同調

妻の胃痛。

数日前から、また子宮が生理痛のような漠然とした痛みがある、仙椎も痛む、言っていた。
もう一段骨盤が開く時期だからかな、と思っていた。

今日、朝起きて、胃が痛む、右手の肘も痛む、とのことで観てみると、胸椎6番と腰部活点と上肢第4の異常。

しばらくあれこれ愉氣していると、どうも私の胃がおかしいらしい。
私の鳩尾を抜いて、息を下腹に入れていくと、妻の胃痛が治まっていく。他にもいろいろと手間をかけていくと、如実に変化する。

私の頭が緊張して、鳩尾が固くなっていて、そこに妻が同調したようだった。
胎児もまた、固くなって萎縮してしまった。

ごめんねえ、と声をかけたが妻はすこぶる機嫌が悪かった。

もうそろそろ頭を使うのを止めないといけない。

2019年2月10日日曜日

愉氣とは、身体を敏感にするためのもの。
それは病の消去の為のものではない。

朝であるとか、溌剌とした時に、これから活動しようという時になされるのが本来であると思う。

だとするなら、愉氣とは、その本質はいわゆるヒーリングではない。

昔は輸氣と書いた。
ある時期から愉氣となった。

定義したのは野口晴哉だ。

輸氣でも愉氣でも、変わらないのは、氣、だ。
野口晴哉が語の表記を変えた瞬間に、氣が変わったか。
氣が変わったから、語の表記を変えたか。

氣の表意は変化するものなのか。
変化しなければ、表記を変えないだろう。
とはいえ、その変化は野口晴哉にとって一生に一度の変化であった。
それ以降は表記を変えていない。

ひとつだけ言えることは、輸から愉に表記を変え、そこに氣を固定したことで、氣が、それ以来、整体に関わる者にとっては、人間的なものなった、ということだ。

輸氣は、物質であり、なんらかの形で物理的にスペースを占有している。
愉氣は、感覚であり、情感の集注。

病の消去にではなく、人間であることに集注すること。
そのこと自体が健康に至る道であることは、戦後の現実を直視すればわかることだ。

2019年2月9日土曜日

死、以外に万人に平等なこと

妻によると、死は万人に平等である、とよく言うけど、もうひとつ万人に平等なことがあることがわかった、んだって。

それは、女性にしか子供を生めないということ。
万人に共通するのは、皆必ず女性の子宮から生まれてくること。

私は、このふたつの万人に平等なことを、テクノロジーによって超越しよう、という動機で世界が動いている、と思っている。

現代社会ではテクノロジーは資本主義と結合しているので、超越するのは資本家と家畜だけだが。

神事で動いている世界はもはやわずかばかり。

2019年2月8日金曜日

9ヶ月目

9ヶ月に入って、ここでさらにぐっとお腹が大きくなった。
今までお腹の子はずっと左側にいたのだけど、立ち上がろうと四つん這いになった時、ゴロッと動いて、右側に移動した。
理由はわからない。
左側の居心地が悪かったのだろうか。今現在1600グラム程で、ここから2ヶ月で体重がだいたい倍になるという。
単純に狭いのだろう。
良い子なので、頭はずっと下にしてくれている。
2、3日したらまた左に戻った。

妻はふざけて「第5形態」などと言っている。ここまで、お腹の子には5回位の大きな変動があった。

昨日操法した。
が、愉氣以外あまりやることが無い。

妊娠前から妻の背骨はよく観ている。
妊娠すると、全然変わってしまう。
明らかに妊婦の背骨になる。個人の特性は比較的に消えていく。個性が消える。
というか、問題のない背骨は、妊娠という状態にすぐに適応するが、問題のあった背骨は適応し難い。

身体に弾力があれば、妊娠中は個性が消えて、普遍的な妊婦の背中になるということ。
元型の身体。
お腹の子も産まれた瞬間はそうなのだろう。
個性などなく、普遍的に赤ちゃん。
ここにふたつの元型の身体があるわけだが、父親だけはそこから疎外されているのだろうか?
そうでもないと思うが、母子と父の間に一定の距離があるのは確かだろうし、そうあるべきだろう。

出産時に、元型の身体が顕現するなら、そこに時間の進行は無いわけで、新たな生命の誕生が神話の時間に浸されるなら、外敵から母子の身を守るのは父しかいないわけで、当然のこととして、父はその神話の時間の外に立っているだろう。

占星術では、出生時間が重視されるが、それは神話の時間が線形の時間に交差する交点で、その観えない神話を観ようとする術によって、運命、が幻視され、そして誕生時からの未だ不確定な線形の時間の軌跡が時制を超越し意識に刻印される。
その刻印は、計測と計算式によって算出された星星の軌道に投影される。
無意識を意識によって無意識に投影するのだから、無意識が意識に貫入する唯一の瞬間であって、その時の一瞬だけ、この世の秘密、のようなもの、が開示されるのだから、特別、以上のもので、いうなれば、普遍的な秘密、を得る唯一の方法だろう。
かんたんに言い換えると、子供を生み育てることは普遍的なことだから、その伝統は破壊しない方が良いですよ、ということ。

昔の日本人女性は、一人で山の上の小屋に行って、一人で生んで帰ってきたという。
昔は山の時間と里の時間は違ったのだろう。
今はすべてなにもかも一緒に均質だから、父親が空間と言説を区切って誕生の時間を人工的に造形するべきだろう。
それが、一番安全な出産法だと思う。

以上は私の個人的な見解だ。
普遍性は無いと思う。

2019年2月3日日曜日

注意

妻の言うことには、胎児の時いかに注目したかで後に不良になるかどうか決まる。
潜在意識教育は母体内に居る時から始まっている。
後々「どこで間違えたのか?」などという親が間違っている、とのこと。

少し前、軽い夫婦喧嘩をした。
私が、ちょっと強めに言葉を吐いただけだが、お腹の子が次の日まで萎縮して小さくなっていた。
ほんとうに母体のお腹が小さくなって動かなくなった。

この程度で、こんなに影響を与えるのか、と恐怖を感じた。
あとで、お腹の子に夫婦ともども謝った。

胎児は、お腹に居るときから既に人として存在が独立しているし、周りの状況を正確に理解し、すべてを聴いている。

人の親になると、自然とさまざま慎まなくてはならないことがでてくる。
大人になるとはこういうことのようだ。

(追記)ブログを読んだ妻からクレームがあった。
「胎児の時いかに注目したか」というよりは、「胎児の要求をどれだけ理解したか」が重要とのことです。

2019年2月1日金曜日

胸椎6番

母体が胎児と同調している胸椎。

じーっと愉氣していると、ゆっくりとした律動を感じる。
この律動を英語だと、リズム、ビート、パルス、などといいますが、私の感覚ではどれも馴染まない。

律動といいますが、一つの周波は長い。
英語だと、ドローンかノイズ、が適当な感覚。

この子の特性か、この時期の胎児の基本的な律動の周波なのか。よくわからない。
しかし、この感覚は、波、であって、心拍の速度とは関係が無い。
胎児と感覚的に同調した時に生じる氣の波。
これがとてもゆっくりしている。

視覚的ではなく、感覚的な音価。