2018年9月26日水曜日

妊婦、そして胎児に愉氣

妊婦、そして胎児に愉氣をする経験が、認識を変える。
氣は送るモノでなく、送られるモノでもなく、複数人が和合協奏する状態。

病を消去しようという氣は、生の本質から離れてゆき、資本に近づいていく。
そこで身体が資本に拘束される。

妊娠の状態は病ではない。
胎児に対する一方的な輸氣など生命の邪魔でしかない。

野口先生が輸氣から愉氣と表記を変更したのには、妊婦と胎児の存在が大きかったのではないかと思った。



2018年9月19日水曜日

身体の偏り

数ヶ月ぶりに師匠の操法を受けた。
胸椎4番と7番で動いているとのことで、妻と同じ動きだった。
妻の身体の状態が私にのっかっているとのこと。
2種の体勢だと、どうしても他人に同調してしまう。

頭での情報処理が許容範囲をこえると「浮き足立つ」。
重心が爪先に移り、左足の親指が引っかかって歩いていた。そして重心は外に。

重心を第一蹠骨に乗るように操法が方向づけられた。
氣を下げるには、私の場合深息法が有効、と言われる。

限界を超えている自覚はあるがもう少し頭を使う必要がどうしてもある。
やはり、人間はその思考や行動が偏ると、身体を壊すようだ。
とはいえ、社会が偏っているならば、その社会を批判的に思考検討する身体は偏らざるをえないのではないか。

この偏りは、体癖とは本質的に異なる偏りに属するのではないかと思う。