2019年11月27日水曜日

7ヶ月健診

7ヶ月健診に行ったのですが、その医者は理解のある方で、ワクチンの注射を強制しなかった。

ただ、アメリカもカリフォルニアだかの小学校は最近義務化され、ヨーロッパもドイツは義務化されるとか、大学も欧米に留学するなら予防注射していないと入学を許可されない方向になってきている、とかそういったことをたくさん教えていただけた。

その病院は最新設備とは程遠い古くささで、私好みのしーんとした所でした。
のんびりした時間が流れていた。
患者も近所の爺さんと婆さんが一人づつ。
活況とは程遠い。
町医者はこれでいいのです。
私はショッピングモールみたいな病院は嫌いだね。
アメリカ発だと思うけど、あれは意図して似せてると思います。
わざと治療とショッピングを混同させている。

2019年11月26日火曜日

善導

胎児による善導。
妊婦は意志では自分を統御できない。

子供の存在が、親を統御する。
そうして文化が創られ、守られてきた。
子供は親を導こうとしている。
聞く耳が無いのは親の方だ。

家族という単位が最小のものであるべきと、私は思う。
行き過ぎた個人主義は快楽以外のものを求めないし、同時にその快楽は個人という外殻を守ってくれるものではない。
むしろ破壊に導く。

実際には個人という外殻を維持することができるのは、家族に守護されているからであって、また家族が維持されるのは当然のことながら、新たな子供たちの誕生によっている。

2019年11月24日日曜日

引き締まった力

整体は引き締まっている状態を求めている。
弛めることがあっても、引き締めるために弛める。
弛める為に弛めない。
どうせ死ねば嫌でも弛む。
生かすための整体なのだから、引き締める。
引き締まれば何処にでも行ける。
やりたいことは何でも出来る。

現代社会は、緊張させて、腰を抜かせる。
身体から解放されることが、快楽とされる。
金があれば解放される、とされる。
金には力がある。
だから金を求める。
そして何を買うかといったら、きっとスマートフォンとソファーを買うだろう。
そして頭を緊張させて腰を抜かせる。
金は身体を引き締めない。

ならば、引き締まった身体で金を求めたら、その身体はその金で何を買おうとするか?
これが、私が金を欲しい理由。

2019年11月23日土曜日

計画

助産院に行った時、4月の出産が多かった。
皆様、計画的に4月に出産しようとしている。
3月予定の出産は少なかった。

4月の方が、保育園の抽選や扶養控除や児童手当においても有利だし、遅生まれの方が当然学校生活も有利になるからということらしい。

うちの子は3月後半の予定で、実際そう産まれた。

無計画の末のことなのだが、無計画なりの理由があるのだろう。
自分にはよくわからないが。
私としては、飛び級のような感じで1年上のクラスで受けられる感じだから、多少は頭の刺激になっていいんじゃないの、と思うが。

あまり公言することではないのかも知れないけど、学校生活に於ける勉強もスポーツも何の意味も無かったと、今では思っている。
当時もそう感じていたが、卒業して20年以上経ってもやっぱりそう思う。
大人になって、よりそう思う。
心底そう思っている。
あんなやり方で知性も体力も測れるはずもないし、育てられるわけもない。

2019年11月21日木曜日

身体を小さく丸めると大人しくなる

出産後、赤ちゃんを胎内にいた時のように、身体を小さく丸めると大人しくなる、と言うが、そんなこと無かった。

息子は、生まれた直後から身体を反っていた。
背を丸めてくれない。

抱っこしているか、反っているか。

育児本にはCの字に丸めるとか書いてあるのですが、息子は一貫して嫌がりました。

2019年11月20日水曜日

話しかける速度が意味になる

赤ちゃんが聞いているのは、言葉ではなく、話しかける速度であり、それがそのまま意味となる。

観察していると、実際にその通り。
赤ちゃんはそう受け取っている。

昔は、われわれも皆そうだった。
そう受け取っていたはずだ。

われわれ、現在の大人にとっても、速度が意味だった。
言葉は聞いていない。

暖かいか冷たいか。
視線が合っているか合っていないか。
空腹に対する知覚。
尿意便意への知覚。

それらの急速な変化。
それらの急速な変化への周りの大人たちの同調と調整。それから分節。

忘れているが、それらは潜在意識でずっとわれわれを縛っている。

これら育児による潜在的な感覚の同調への開眼は、私の操法に甚大な影響を与えるだろうと思う。

野口整体は感覚が主体であるから廃れたのだと思うが、誰でも赤ちゃんの頃の初心では感覚主体で生きているのに、主観的感覚主体の健康法が廃れるというのは間違っている、と私は思う。

2019年11月16日土曜日

腹と氣

活元運動をしていたら、動きと氣が腹に移行していって、腹というものがやっとわかった。

よくよく考えると不思議だけど、医学的に観る腹の内部構造や機能と、整体的に観る腹の感覚は、まったく別のもの。

別のものなのに、普通の日本人の思考や精神の裡に、身体観として混在している。
混乱しないのだろうか、と我ながら思う。

医学的に観た内臓の様子は実証されたものということになっているけど、実際に世の中を観てみると、それとは別の原理で日本人は動いているだろう。

一度立ち止まってよくよく考えるべきではないでしょうか。

因みに音楽も同じだと思います。
私はあるポイントで音楽を西洋から伝わった楽理に沿って分析的に聴くことを止めました。

2019年11月9日土曜日

赤ちゃんの夢の世界

赤ちゃんの反応を観ていると、彼に観えている世界は、我々にとっての夢の世界のような感じがする。

私が玩具を次々放り投げるため、突然目の前に何かが現れたり消えたり、持ち上げられて、風景が切れ切れになったり、ほぼ連続的な意味は無く泣いたり笑ったりと感情やムードがコロコロ変わる。

何かを眼で追っていても、脳での認識は少し遅れがあるようで、意味が脳内で結像する前に身体の位置をずらすと状況に対する把握が困難になる。

自身の身体の外延の把握も正確ではなく(これは一般的な意味)、言葉も持たないので、物語としては世界を把握できないだろうと感じる。

我々に赤ちゃん時代の記憶が無いのも、そこに自我がないからなのでしょうが、視覚も触覚も嗅覚もそこに無いようです。
全ての感覚器が不安定で安定してないので、まだ人間として機能していないと感じます。

しかし私は我が子を観ていると、どうしても魂なるものがやはりあるのではないかとも感じます。
もぞもぞ動いている赤ちゃんに視えない何かが重ねられている感じがあります。
この漠とした魂の感触がない親が、子を虐待するのではないかと思います。
肉の塊にしか視えないからです。

虐待する親は夢の世界に住んでいるといえますが、その夢は悪夢で、悪夢は身体に方向づけられています。肋骨の問題なのです。
それは自身の身体を肉の塊として認識したその結果です。
赤ちゃんの身体に同調すれば、悪夢からただの夢に移調したはずです。
そしてその夢はその裡、現実へと受肉したでしょう。

肉の前に氣があって、氣が魂を感じるのだと思います。

こういったことを日本人が漠然と思考する時には、横文字を使わずに漠然とした日本語で思考すべきだとも思います。

2019年11月4日月曜日

補食

補食について。
野口整体では離乳食ではなく、補食といいます。
お乳やミルクで足りない分の栄養を補う為に固形物などを食べさせるという考えです。
生後三ヶ月ですでに捕食に入らないと栄養不足になると言われています。

ここで言われている栄養とは、一般的な数値化できる栄養とは若干違います。
赤ちゃんには注意の要求があるので、氣を込めて作る、と。
その氣が大事で、赤ちゃんはその氣を食べるとのことです。

氣とは、端的に言うと主観です。
主観での親子の繋がりです。

野口晴哉の食事観を軽視すべきでない。
食とは、単なる栄養素の咀嚼と消化吸収の問題ではない。
氣を形にする行為と、咀嚼される形から氣を感じる行為、この二つの主観を同調させる文化を、食事と名指す。

とはいえ、その理念が明確な型として成立しているかというと、残念ながらそうでもない。

『誕生前後の生活』『育児の本』は野口晴哉著であり、『子育ての記』は野口昭子著である。
公になっている出版物ではこの3冊くらいしか参考になる本はありません。
一方は、野口先生の観方であり、一方は奥様の観方であり、よく読むと矛盾や言葉足らずがあり、混乱します。

どなたでもそうでしょうが、私どもも、混乱のなかで手探りで育児をしています。

やってみればわかることなのですが、出産と育児は本来的に混乱であり、そうであるからこその創造なのでしょう。

いずれにしても、数字ではなく、氣への集注が、全てだと思います。
それがここまでのところの、出産と育児に於ける私どもの整体の結論です。

2019年11月2日土曜日

変な音

サランラップの芯に口を当てて、もう一方を息子の耳元に当てる。
そして「ぶおぉぉぉおぉぉ」と低い声で音を出して聴かせると、恐怖の表情を浮かべ、凄い勢いで泣き出した。

いかにも怖い不気味な音を聴かせると、本当に怖がるんだな、と思った。
先入観などではない。
やはり誰しも生まれつきに本能的な音感が備わっているのでしょう。

生まれつきのもの、自然のもの、本能的なもの、を否定する思想や芸術には距離を置いて一考すること。