2017年8月31日木曜日

操法の見学

友人の好意で、師匠の操法を受けているところを見学させて頂いた。

表層的な身体状況としては、D11で動いている。
量の食べすぎはD11の左3側。
胃拡張の動き。
実家に帰ったので、食べ物がたくさん出てきて食べないと悪いからたくさん食べたとのこと。

その他の身体状態や操法の詳細はについては書けませんが、操法の前と後に着手をさせていただきました。
背骨と呼吸の操法前後での差異を体感させていただいて、非常に勉強になりました。
ありがたいことです。

2017年8月29日火曜日

モノモライ

スペイン人の男性のモノモライの愉氣をさせていただく。
正確には麦粒腫という。

たまたま読んでいた「整体操法読本巻三各論」において、モノモライの対処法が書かれている。
野口先生は「多くは一回又はニ、三回にて治癒する」と書いておられるが、師匠は「一日で治らなければ愉氣ができていない」と言っていた。

教わった愉氣の仕方は「整体操法読本」に記載されている方法とは若干違ったが、いずれにしても愉氣が主体だ。

まず、眼の第一に愉氣。
それから、ふちに沿って、穴追い。
最後に対象部位に点の愉氣。

終わった後の帰りに、そのスペイン人男性に「(治るまで)ニシュウカンカカルネ」と冗談で言われた。

2017年8月26日土曜日

体勢の稽古、ひきつづき中毒操法

昨晩。
体勢を観て、その体勢に乗ってこない骨での行氣、そして観察。
私は捩れ体勢でD11が捩れていて、そこで行氣。夏バテ、小便が詰まっているとのこと。
捩れ体勢を経過すると、左右体勢に変化。
最終的に開閉体勢にもっていってから、L4での自働運動を行う。

昨日の愉氣の訓練の影響で、師匠はネイビーブルーがすごく目に付くとのこと。
私は何か身体が重くて、だるくてしょうがない。

また、稽古終了後の食事中、ある方から師匠がメール受け、私のために、御身体を提供する、との申し出を頂いた。
ありがたいことです。

そして今朝はひきつづき中毒操法の稽古。
師匠が私の身体を操法するとD3が左右転位をした。これが肝臓と繋がっているので、スマホを観ている左目からの電磁波の影響とのこと。

私も、師匠の身体を観るが中毒の身体でない。
「下痢をして抜けたから」とのこと。
手順だけ、中毒操法の型稽古をする。

2017年8月25日金曜日

愉氣の訓練、中毒操法

野口晴哉先生晩年。
岡島瑞徳先生が、野口先生に特別に許可をいただいて、指導者のための会で特別な愉氣の稽古を受けた。

そこでのその稽古を岡島先生も晩年に、岡島道場の研修生を対象に行った。
岡島先生は何度かその稽古を行ったが、研修性の水準を見て途中で打ち切った、とのこと。

その稽古は、道場全体で、愉氣の質を底上げする、といったもので一人で行うものでなく、特別な場を創り、場を上げていく、というものなのであろう。

今回その稽古をはじめて行った。
今月受けた操法での私どもの身体を観て、「やってもいいかな」と思ったとのこと。

実際その訓練をしたところ、師匠を含め、全員しばらく、頭がぼーっとしていた。
しばらく続けて、経過を観察していく。

その後、中毒操法の稽古を行う。
師匠も中毒の身体だったので、私が操法を行うが、「働きになっていない」とのこと。

中毒操法とは、昔の基本操法の第一号。
操法の観方や身体捌きの基本がすべて含まれていて、本当に難易度が高い。
生まれたときから、着物を着て下駄を履いていたら、もう少し習得は容易であっただろうが、仕方ない。
日本人は先祖の文化を捨てて、便利の道を選んだのだから。
もはや現代人は苦労する以外には道はない。



2017年8月23日水曜日

全身の冷えに対する操法、歯の打撲の処置

D10で動いていると。
全身の冷え。
頭部第2を押さえられ、寝相を指摘される。
D12で考えていて、また、思考している対象と分量が、私の頭の許容範囲を超えている。
そこで、頭の暴走を冷ますために、無意識に無為の動作で寝ているときに、左足を冷やしているとのこと。
そこから、全身が冷えている。
具体的には、布団から左足だけ外に出しているらしい。

よく身体を冷やしてはいけないというが、身体に悪くても、頭がハングアップしてしまうのを防ぐために、自動的に寝ているときに自分で冷やすことがあるということ。
D10を萎縮させて血液が脳に廻らないようにしていたのだろう。

妻の歯の治療による打撲に対する操法も横で観ていて、その技術の高度さが、以前よりも明瞭に把握できて、自分の眼もずいぶん変わってきたことを実感した。

知っている、観える、できる、ということは、どれか一つだけが突出することはやはりなくて、すべて同時進行で自分自身の一つの身体の裡に、生成されるものなのであろう。

その他、「これから左手が変わってきますよ」と言われてうれしくなった。

2017年8月20日日曜日

『整体操法読本巻二実技』

個人的なメモ。

ここに書きとめられているすべての技術は、実際にこの水準に達している指導者の技を身を持って感覚していない限り、誤読は必至だろう。
型と技を護ってきた先達に対する敬意を忘れてはならない。

そしてそういったことに思い当たると、そもそも日本文化とは何なのか、近代化とは何なのか、という問いに直面せざるを得ない。

さらには、そういった問いのほぼすべてにすでに回答がなされている。
それが現代であろう。

現代の日本人に与えられている課題はすでにすべて指し示されていると思うが、どうか?
地球上のすべての民族に敷かれている道はすべてが茨の道なのだろう。
たいへんなことだがやるしかない。

2017年8月19日土曜日

着手、1側の型

着手の稽古。
稽古というより、師匠に実演して頂く。
着手のみで、水平、垂直と入り、操法点、体癖、体勢、波と観ていく。

1側の型。
捩れているD5の2側を押さえる。
D5の棘突起が飛び出したところで、1側の処理に入る。
型を取ると「太い太い」と言われる。
1側を押さえる私の頭部第3を、師匠が押さえ、私の身体を引き締める。
線が細くなり「そのまま、そのまま」実際に自分指が細く感じる。
身体の中心にできた線を、そのまま横に移動させることで1側を弾く。
身体が太いままだと、1側の硬結には触れられない、とのこと。


2017年8月14日月曜日

『整体操法読本巻一総論』

過去の資料に対する、個人的なメモ。

タイトルにあるように、整体操法の「総論」が述べられている。
最も重要なのは解剖学的な人体観とは違うところを整体では観察をして操法をする、というところ。
ぼーっと読んでいると、なんとなくの理解になってしまうが、相手の感受性を主に指導するというあたりは、整体とは科学的なアプローチでは絶対にない、ということで、これはまじめに読めば、少なからずのショックが与えられる。

理論ではなく、生命に根ざした治療行為である、という点も、言葉にするとあまりにも陳腐になってしまうが(本書の執筆は昭和22年。終戦後間もないので、当時の日本人にとっては陳腐な言葉などではなかったであろうが)、そうとしか表現できないことだろう。

それにしても、この本を現在の平均的な日本人が読んでも、誤解しかできないであろう、と思った。再刊されない理由もよくわかる。

しかし、本当に重要な資料だ。
読めば読むほど、深みに嵌る。
何かに到達している。
理にかなっている。
氣で一つになる。

2017年8月12日土曜日

48類

師匠に48類の話を聞く。
衝撃を受ける。
手順を聞くがとても真似できない。
そもそも一般化可能だろうか。
方法でなく、技であり。
そして感覚の技である。

私は「ち」であるとのこと。

2017年8月9日水曜日

白内障の操法

縁あって、というか、たまたま、白内障と診断され手術を受けようかと考えている方の操法を見学させて頂いた。

すべては師匠とその方のご好意。

D10とL2・3が操法点。
動き出しはD10。

事前に動作を観察。
椎骨の触手で観察。

操法を進めながら、随所で、私も背骨や後頭部など、触らせて頂く。
変化が如実にわかる。

その速度、間合い、呼吸、正確さ。

操法終了後の身体の変化は、大きくもあり小さくもあった。

ここが操法点である、という見極めと、実際の操法による変化をみて「これでよし」とする見極めは本当に難しい。
野口先生が書かれているように、実地に経験する以外にない。
このような得がたい経験ができて、感謝以外の言葉はありません。
ありがとうございました。

眼鏡

眼鏡をはずし自転車に乗る。
すると、空がすごく広く見える。
地も視界に入る。
こんなに広くてたくさんのものが目の前にあったのか、と思った。

コンビニでの買い物の帰り、今度は眼鏡をかけてみる。
よく見えるけど、周辺の視野が削られる。
目の前の道路しか目に入らない。
運転するにはいいけど、ものすごく視野が狭くなってしまう。

眼鏡は生活するために仕方なくかけている、という認識でいないと、感覚が狂ってしまうな、と思った。

2017年8月8日火曜日

下駄で裏山に

稽古をかねて妻と下駄を履いて裏山を散策。
靴でなく下駄を履くと、確かに腰椎4番で山を登るかたちになる。
靴だと腰椎5番にしか焦点が集まらない。

腰椎4番で登る山と腰椎5番で登る山では、その体験の意味が違ってくるだろう。

たくさん蚊に血を吸われてまいったけど、自身の身体を違った視点から内観できたので良い経験になった。
一年ぶりに山頂の稲荷神社にご挨拶できたのもよかった。

いつもとまったく違う処が疲れましたが、昔の日本人は皆こういった身体の使い方をしていたのかと思うと、気が遠くなります。

戦前の日本人が創り上げた技術体系を、この平成の世に生きる我々が学ぶことは、非合理の極みであらざるを得ないので、やはりこの道は茨の道なのだなと思います。

2017年8月5日土曜日

妻の操法

突然、師匠の目の前で妻の操法をすることになる。
歯の治療からくる甲状腺の異常。
中頚とD4を操法の対象とする。

実際の操法の内実とその評価は略。

操法後、L3の1側の状態を観て、子宮の血行が良くなっているから、まあ良い、との評価。
冷や汗が出るが、経験を積むよりほかない。