2020年2月25日火曜日

『育児の本』『子育ての記』『誕生前後の生活』

0歳児。この時期の赤ちゃんは、1日ごとに変化する。
私は産まれる前から、そして出産から子供を毎日観ている。

毎日観ていて、心理学や精神分析などの本に書いてあることは、あまりあてにならないな、と痛感します。

妻は、出産前から整体を勉強して、愉氣や毎日の散歩などをしている人でないと、出産後の捕食なども含めて、整体式で育てるのは無理ではないか、と言っていた。
産んだ後で、野口整体を知って、それから何かをしようと思っても難しいと。
とにかく、大変です。
整体育児は、世間一般で言われていることとは、あべこべです。

実際『育児の本』『子育ての記』『誕生前後の生活』くらいしか参考文献がありません。
そして、この3つの本に書いてあることも細かいことが正確に記載されていないです。矛盾があったりします。
これらの本で書かれているお子様方は、野口先生のお屋敷でお弟子さんお手伝いさんも含めた大人数で育てています。危険な状態の時は、野口先生の動物的な天才性による育児で救済されたりしています。

3冊とも名著です。
しかし、子供がいないとピンとこないと思う。実感がわかないから。
私もそうでした。
子供がいらっしゃる方でも、整体出産していないと、ご自身の病院での出産を否定されていると感じて気分が悪くなるかもしれません。

書いてあるその通りにしようとしても、とにかく育児は忙しいので、目の前の状況と本の中にある情報にかなりのギャップが生じてゆき、それが日々大きくなっていって、氣が付くと、整体育児はおざなりになる、という方がほとんどであろうと思います。

だからこれらの本はあまり言及されない。
実践するのがほぼ不可能だから、そもそも論評できない。

例えば『子育ての記』にて7ヶ月目に色々食べさせていて、そのメニューが書いてあるが、奥様である昭子さんは一切家事をしなかったと言われているので、これは恐らくすべて女中さんかお弟子さんが作っている(しかし、氣はどこに行ったのか。お弟子さんに稽古として氣を込めて作らせていたか?)。

このメニューを日々の雑事に追われながら、夫婦二人だけで作るのはものすごく大変。無理です。
今現在、我々夫婦は二人で子育てしていますが、これは不可能。
例えば卵にしても、産んでから3日以内のもの、とあって、その為、わざわざ車で神奈川県まで買いに行っていたわけです。卵の為だけに……。卵6ヶで400円です。
肉にしても、まともな国産の肉は高いです。
野菜も無農薬減農薬のものしか食べさせていないです。
高いし、とんでもなく手間もかかるわけです。

しかし、私は今の日本人の身体が弱いのはこの13ヶ月までの栄養の不足が多大な影響を与えていると仮説を立てているので、かなりの努力をしています。
この13ヶ月の栄養は後から埋め合わせることができないとされているからです。

それにしても、上記3冊には情報があまりないのです。
あれこれ読んでもやり方がわからない。どのくらいの量、どのくらいの頻度で与えていたのか、正確なところが全然書いていない。
感覚で、と言うが、昭子さんの『子育ての記』を読むと、肝心なところはすべて野口先生頼みで、実際に野口晴哉以外で整体育児が出来た人間はいるのだろうか。
師匠に聞くと、岡島瑞徳先生が本に書いてある通りに完璧に進めようとするので、最初の奥様はノイローゼのようになって、野口晴哉の本をすべて捨てたと言っていた。
たしかにそうなると思う。

肉を磨り潰して柔らかくというが、ミキサーを使っても、どうしても筋が残ってしまって、赤ちゃんは飲み込めない。
瓶詰めのペーストを買おうと思っても、砂糖とか余計なものが入っているものしか売ってない。
白身魚は、ほぐして与えて結構食べたなと思っても、よく観ると上顎に貼り付いていて、ほとんど飲み込めていない。喉につかえて、ケホケホいっているから慌てて口に手をいれて取り出した。

完全なる加工も不可能ではないだろうが、手間と時間がかかりすぎる。
レバーのペーストと書いてあるんですが、鳥のレバーは痛みやすいから買い置きできませんからその日のうちに買ってきたものを2時間くらいかけて処理して、
すごく時間をかけても、ほんとうに少量しか飲み込んでくれない。
生活が成り立たないです。

ドラッグストアにはインスタントの離乳食が売っているが、どこの肉かわからないようなものが使われている。何も原産国が書いてないものは中国製なんだろう。

6ヶ月でおむつを取ったことを、よく決断したみたいに昭子さんの本に記してあったが、何度もいいいますが、女中さんもお弟子さんも野口晴哉も居てで、お屋敷も広いしの処なら、6ヶ月でおむつからおまるへの移行もそんなに難しくはないでしょう。粗相をしても自分が片付けるわけではないのだから。
今の私どもの狭い賃貸でうんこ漏らされたら、1時間以上時間が潰れるんですよ。

実際のところ整体育児の実践は相当程度の経済的資本がないと不可能です。これは整体に対する感覚的才能や稽古量以前の問題です。本を読めば捕食に関する理屈はある程度わかるのですが、正確な整体による育児法は文章化されていない。
実際には野口先生のカリスマ性と直観がほぼ全てであって、そこから統一理論は構築できないのです。

それが答えかもしれません。
理論化できない、ということが。

しかし、こういったことも実際に実行してみて理解できたことです。
子供に感謝しています。

2020年2月24日月曜日

伝い歩きからの横に座る

立てるようになり、つかまり立ちが出来るようになってしばらくすると、つかまったまま横に移動するようになる。
腰椎2番が動いているようだ。
横に移動するという動作が重要。腰椎2番の3側を腰部活点と呼ぶが、どうも3側より2側の方が先に焦点になるようだ。意外だった。

私が洗濯物を畳んでいると、息子が横に座った。
横に座って洗濯物を畳む真似をする。といっても洗濯物を放り投げるだけだが。

ここではじめて動作を真似た、と思う。
横という感覚が発生する前は真似るという感覚はなかった。

こちらが笑った時に反射的に笑い返す、とかはあったが、なんというか、大人がやっていることを自分もやってみようという感じの真似は、これがはじめてだった。

横に座って(まだ立てないので当然横イコール座るになる)同じ方向を向き、同じ動作をする。
この型をとってはじめて、腰椎2番の3側が動くようだ。
実際にその数日で感情が変化した。

野口晴哉先生の言う、整体操法の時に、実際には厳密に座る位置が決まっている、という感覚の原初はここにあるのではないか。

他人の横に座り、同じ方向を向き、真似をする、同調する、その間合い。
これは腰椎2番で感じるものだ。

横に立つと、横に座るは、違う。
立ってしまうと、何処かに進まなくてはならないため、そこで上下と主従の関係が生じる。
つまり始まりと終わりが生まれる。
新しい時間が発生する。
そのことを否定するわけではないが、それは、まあまだ先の話だ。

息子はまだ二足歩行できない。
故に、実はその親子の間には、まだ主従は存在していない。
一体感だけがある。
この感覚が生じる位置に座る。
操法の時だけでなく、誰に対しても、何時でも、そうするべきなのだろう。