師匠、私、妻の三人での稽古にて、私の現在の身体の状況を教わる。
胸椎5から吐き、腰椎1で吐き、弛めようとしている。
腰椎1の左、2種の体勢から、腰椎1右に移り1種の体勢に、そこから腰椎4の右に移り10種の体勢で鬱散しようとしている。
腰椎3の左が仙椎2番に結び付き、頭部第2の左と仙椎2番の左が結び付いている。
ここで重要な2点、頭部第2と仙椎2番の氣の結び付きが、横にいる妻のお腹へと繋がり、三角形を作っている。
状況を説明すると、現在妻は妊娠しており、そのことに対して、仙椎2番における妻への同調と、頭部第2での私の観念の変化、その氣が向かう先が、妻のお腹の胎児ということになる。
10日ほど前に結構な火傷を左腕にしたのだが、それは、仙椎2番に焦点が集まると、火傷をするから、とのこと、それと、その時点での胸椎6での焦りの気持ちが結び付いているからだと。
吐きが強いのは低潮。今の私は吐きが強い。この波は月の波。
今の私の大きい高潮の波はあと、2年半くらい続くはず。
月の波としての低潮期に火傷をした。
(波、は月の波、氣の波、水の波など、さまざまにあり、複雑)
2種の体癖を様々に体勢を組み替えて、全うしようとしている。
その後、妻の操法(この日私は操法を受けなかった)。
自身が逆子として生まれてきたことを乗り越えるための風邪。
胸椎5と7で動いている。
この時の胸椎5は粘膜の風邪という意味の胸椎5であって、本筋は胸椎7にある。
妊婦の胸椎7の左1側の硬結は難しいことになる、と教わっていて慎重に観察していたが、逆子の7番だったようだ。
つまり、妻の母が、妻を出産した時の身体の状況が、現在の妻に生じている。
妊娠したことを書いてもよいと妻に許可を得たので、今後少し記していくことにする。
今回はあえて注釈抜きで書いていったが、普段の稽古では我々はこういった話をずっとしている。何が書いてあるかほとんどわからないかと思うが、真剣にかかわった場合、野口整体は実際にどうやってもかんたんなものになりえない、ということを知っていただきたく記しました。
2018年10月19日金曜日
2018年10月3日水曜日
受胎から出産までの日数
平成16年5月23日の中等講座第二講での岡島瑞徳先生によると、
「受胎から出産までに日数は決まっていまして263日目で生まれる。それに狂いがあったら間違っている。何か身体に狂いがある。最初に胎動があった日から131日目で生まれる」
とのこと。
そして、これは何時の講義か定かではないですが、野口裕之先生の講義要旨によると、分娩予定日として、
「受胎から263日~5日」
「最初の胎動のあった日の翌日から131日目これは胎児への注意を集める方法でもある」
とある。
さらに野口晴哉先生の『誕生前後の生活』(昭和48年)によると、
「やはりちゃんと二百七十三日お腹にいないと駄目なのです」
とあります。
誤植だろうか。
一体、誰を信じるべきか?
それは当然、野口晴哉先生、と言いたいところですが、野口先生は『女である時期』に於いて女性の生理周期が明治大正昭和で変動してきたことを書いておられます。
徐々に短くなってきたようです。
栄養状態の変化か、観念の変化、社会全体のリズムの変化によるのでしょうか?
受胎から出産までの日数も、誰の言うことが正しいのか、というよりも、それはあくまで理想であるということを理解すべきでしょう。
我々は、上述の偉大な先生方のおっしゃっていたことよりも、今の時代に生きて生活している人間を見つめるべきなのでしょう。
古い資料は、やはり参考資料なのでしょう。
帝王切開は駄目で、自然分娩が絶対的に正しいとは、今の時代に生きている私には言えません。
理想と現実は違います。
どこかで妥協せざるを得ないです。
しかし、目前の身体に集注しようとすると、必ず国家が立ち上がる。
国家を思考せざるを得なくなる。
そして日本という国家をこのような形態に変形した勢力に対して思考すべきだとも思う。
私が、身体に着手しようとすると、2種体勢になる、その理由の一つ。
「受胎から出産までに日数は決まっていまして263日目で生まれる。それに狂いがあったら間違っている。何か身体に狂いがある。最初に胎動があった日から131日目で生まれる」
とのこと。
そして、これは何時の講義か定かではないですが、野口裕之先生の講義要旨によると、分娩予定日として、
「受胎から263日~5日」
「最初の胎動のあった日の翌日から131日目これは胎児への注意を集める方法でもある」
とある。
さらに野口晴哉先生の『誕生前後の生活』(昭和48年)によると、
「やはりちゃんと二百七十三日お腹にいないと駄目なのです」
とあります。
誤植だろうか。
一体、誰を信じるべきか?
それは当然、野口晴哉先生、と言いたいところですが、野口先生は『女である時期』に於いて女性の生理周期が明治大正昭和で変動してきたことを書いておられます。
徐々に短くなってきたようです。
栄養状態の変化か、観念の変化、社会全体のリズムの変化によるのでしょうか?
受胎から出産までの日数も、誰の言うことが正しいのか、というよりも、それはあくまで理想であるということを理解すべきでしょう。
我々は、上述の偉大な先生方のおっしゃっていたことよりも、今の時代に生きて生活している人間を見つめるべきなのでしょう。
古い資料は、やはり参考資料なのでしょう。
帝王切開は駄目で、自然分娩が絶対的に正しいとは、今の時代に生きている私には言えません。
理想と現実は違います。
どこかで妥協せざるを得ないです。
しかし、目前の身体に集注しようとすると、必ず国家が立ち上がる。
国家を思考せざるを得なくなる。
そして日本という国家をこのような形態に変形した勢力に対して思考すべきだとも思う。
私が、身体に着手しようとすると、2種体勢になる、その理由の一つ。
2018年10月2日火曜日
2種に操法ができるのか?
2種体勢が続いている。
上下体勢で他者に触れると、それだけで相手の氣が上がってしまう。
2種の体勢で操法は可能か、操法をする時には9種体勢になるのが普通なのではないか、と師匠に聞いてみた。
突き詰めれば可能なのではないか。
2種体癖の無い、あるスポーツの指導者が2種体勢になっていた。
生徒を指導するために、意識的に自分を消していって自然に2種体勢になっていた。
自分を消す、というところを突き詰めたらいいのではないか。
なるほどと思った。
整体操法は9種のするものだ、というのは思い込みで、他の道があるかもしれない。
とはいえ、師匠は道場に人が入ってくると、その瞬間意識が切り替わって何時でも9種体勢になってしまうようだ、とのこと。
上下体勢で他者に触れると、それだけで相手の氣が上がってしまう。
2種の体勢で操法は可能か、操法をする時には9種体勢になるのが普通なのではないか、と師匠に聞いてみた。
突き詰めれば可能なのではないか。
2種体癖の無い、あるスポーツの指導者が2種体勢になっていた。
生徒を指導するために、意識的に自分を消していって自然に2種体勢になっていた。
自分を消す、というところを突き詰めたらいいのではないか。
なるほどと思った。
整体操法は9種のするものだ、というのは思い込みで、他の道があるかもしれない。
とはいえ、師匠は道場に人が入ってくると、その瞬間意識が切り替わって何時でも9種体勢になってしまうようだ、とのこと。
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