野口晴哉先生晩年。
岡島瑞徳先生が、野口先生に特別に許可をいただいて、指導者のための会で特別な愉氣の稽古を受けた。
そこでのその稽古を岡島先生も晩年に、岡島道場の研修生を対象に行った。
岡島先生は何度かその稽古を行ったが、研修性の水準を見て途中で打ち切った、とのこと。
その稽古は、道場全体で、愉氣の質を底上げする、といったもので一人で行うものでなく、特別な場を創り、場を上げていく、というものなのであろう。
今回その稽古をはじめて行った。
今月受けた操法での私どもの身体を観て、「やってもいいかな」と思ったとのこと。
実際その訓練をしたところ、師匠を含め、全員しばらく、頭がぼーっとしていた。
しばらく続けて、経過を観察していく。
その後、中毒操法の稽古を行う。
師匠も中毒の身体だったので、私が操法を行うが、「働きになっていない」とのこと。
中毒操法とは、昔の基本操法の第一号。
操法の観方や身体捌きの基本がすべて含まれていて、本当に難易度が高い。
生まれたときから、着物を着て下駄を履いていたら、もう少し習得は容易であっただろうが、仕方ない。
日本人は先祖の文化を捨てて、便利の道を選んだのだから。
もはや現代人は苦労する以外には道はない。