2019年12月28日土曜日

うんち

黒色は栄養過多。
黄色は栄養少ない。
茶色が正常。

水っぽいのは量の過剰。

本にはどのくらいの量が適量か書いていなくて、補食以前は不信に思っていたが、補食期のうんちの処理をするようになって、やっとわかった。

うんちの状態で、食べさせる質と量を判断するということ。

しかし、それにしても、思った通りにはならない。
ちゃんとやっていても黄色かったり、下痢したりする。

補食は、ほぼ妻が作っているが、とてつもなくたいへん。
毎日毎日バランスを考えて作っています。
しかし、安全なものを食べさせるためには、数件のスーパーを廻り、自然食品の店で平飼い卵や無農薬野菜(逆によくないという話もあるそうですが)を買ったりしていますが、お金も余分にかかります。

それでも、うんちを観て、質を量を増やそう減らそうとやっていても、その通りにはなりません。

氣が付くと一日が終わっています。

2019年12月24日火曜日

出待ち

子供を連れて、スーパーなどで買い物をしていると、おばあさんに話しかけられる。

ときには、有名人のように店の外で、我々を待っている「出待ち」もいたりする。

常識的な方がほとんどであるものの、たまに子供に触ってくる人がいる。
実際には我が家の赤ちゃんは無表情ですが、かなり嫌がっている、のが我々にはわかる。

お年寄りは「ありがたや~」という感じで触ってくる。
たしかにありがたいのでしょうが、お地蔵さんや仏像にむやみに触れないように、赤ちゃんには勝手に触れてはなりません。

とはいえ、この辺りには子供はあまりおらず、身寄りのなさそうな老人が、赤ちゃんの発する輝きに引き寄せられるのも致し方ないのかな、とも思います。

赤ちゃんは最初の数か月は仏像のような悟った表情をしているのですが、だんだんそのような表情が消えて行って、どんどん可愛らしい表情になってきます。
不思議なことですが。

2019年12月19日木曜日

ナンバ歩きではない

最初は、ずり這い、それから所謂ハイハイへ至る。
この過程を観察していたけど、はじめのうちは上体と下体の連携がとれていない。
バラバラに動いている。
しばらくすると、少しづつ腰椎3番を中心にして連携がとれて来た。この時、やはり、右手を前に出せば、左足が前に出る。トカゲのような動きになる。腹をつけてズリズリ這っていく。

四つ足で歩くなら腰椎3番を捩じって上体と下体の動きを逆にした方が合理的だろう。実際にすべての四足の哺乳動物はそう歩いている。走る時は違った足捌きになるが。

問題は二足歩行になった時にどう歩くかなのですが、ナンバ歩きという動きが古来の日本にはあったとされている。右手と右足、左手と左足を同時に出すという動きですが、これが本当なら、どうしてこんな動きになるんだろうか。
もしそうであるなら、着物と立ち居振る舞いの型以外に二足歩行において動作が変転する理由はない。
他の民族でこの動きするという話は聞かない。
ゴリラが走るとナンバ的な動きになるらしいが。

熊が立姿で歩く動画が幾つかあるが、足だけで歩いていて、上体は使っていないように観える。しかし、何故に熊は二足歩行をたまにするのか。
遠くを観るためか。
もっともらしいが嘘だと思う。
真の理由は、たんに立ちたいからだ、と思う。猿も二足歩行をするが、それはおそらく両手が自由になるからだろう。
猿は小賢しく何かを考えているが、熊は何も考えて無いように観える。
因みに、チンパンジーとも日本猿とも、現在の人間は遺伝上の直接的つながりはない。人間は彼らから分岐して、今の人間へと至ったわけではない。
チンパンジーを観察しても人間のことはわからない。彼らと人間とは無関係だと観るべきだ。
人間を観察しないと人間のことはわからない。

かつての日本人がナンバ歩きなるものをほんとうにしていたならば、なんとなくそうしたいからそうした、のだろう。
この歩き方は効率が悪いかもしれない。
スポーツ選手が効率よく走ろうとしてこの動きを取り入れるという話を聞くが、申し訳ないが、私には発想が醜く感じる。
ご先祖様に忠義を尽くすために、この歩き方を考究する、ということでいいのではないですかね。

2019年12月1日日曜日

歯が生えた

整体式だと、歯も話すのも歩くのも、13ヶ月と言われていますが。

補食はほんとうは3ヶ月くらいから始めるそうですが、私どもは6ヶ月からでした。
これは単純に、超高齢出産(40歳以上の出産は「超」が付くそうです)だったので産むまでのことで頭が一杯で、産んだ後のことはほぼサッパリ考えていなかったことによっています。

産んだ後、半年ほど経って、一息ついてそろそろかな、と野口先生の本を読んでみたら、「3ヶ月から」と書いてあって度肝を抜かれました。
それほどに出産と育児というのは、親が同居か近所に住んでいない限り、とんでもなく忙しいので、これから出産を控えている方は計画的に立ち回った方がよろしいかと思います。
適当に出産や育児をするならなんでもいいのですが、真剣に行うとなると、時間とお金をとてもとられます。

ところで、子供に右下の歯が生えてきたのですが、想定より早い。
赤ちゃんに栄養が足りてないと、早く歯が生えてくるということですが、どうなんだろう?
補食はかなり頑張っているんですが(妻が)。
経過を見守ります。

それにしても、育児が想定どおり理論どおりにいかないのにはもう慣れました。

2019年11月27日水曜日

7ヶ月健診

7ヶ月健診に行ったのですが、その医者は理解のある方で、ワクチンの注射を強制しなかった。

ただ、アメリカもカリフォルニアだかの小学校は最近義務化され、ヨーロッパもドイツは義務化されるとか、大学も欧米に留学するなら予防注射していないと入学を許可されない方向になってきている、とかそういったことをたくさん教えていただけた。

その病院は最新設備とは程遠い古くささで、私好みのしーんとした所でした。
のんびりした時間が流れていた。
患者も近所の爺さんと婆さんが一人づつ。
活況とは程遠い。
町医者はこれでいいのです。
私はショッピングモールみたいな病院は嫌いだね。
アメリカ発だと思うけど、あれは意図して似せてると思います。
わざと治療とショッピングを混同させている。

2019年11月26日火曜日

善導

胎児による善導。
妊婦は意志では自分を統御できない。

子供の存在が、親を統御する。
そうして文化が創られ、守られてきた。
子供は親を導こうとしている。
聞く耳が無いのは親の方だ。

家族という単位が最小のものであるべきと、私は思う。
行き過ぎた個人主義は快楽以外のものを求めないし、同時にその快楽は個人という外殻を守ってくれるものではない。
むしろ破壊に導く。

実際には個人という外殻を維持することができるのは、家族に守護されているからであって、また家族が維持されるのは当然のことながら、新たな子供たちの誕生によっている。

2019年11月24日日曜日

引き締まった力

整体は引き締まっている状態を求めている。
弛めることがあっても、引き締めるために弛める。
弛める為に弛めない。
どうせ死ねば嫌でも弛む。
生かすための整体なのだから、引き締める。
引き締まれば何処にでも行ける。
やりたいことは何でも出来る。

現代社会は、緊張させて、腰を抜かせる。
身体から解放されることが、快楽とされる。
金があれば解放される、とされる。
金には力がある。
だから金を求める。
そして何を買うかといったら、きっとスマートフォンとソファーを買うだろう。
そして頭を緊張させて腰を抜かせる。
金は身体を引き締めない。

ならば、引き締まった身体で金を求めたら、その身体はその金で何を買おうとするか?
これが、私が金を欲しい理由。

2019年11月23日土曜日

計画

助産院に行った時、4月の出産が多かった。
皆様、計画的に4月に出産しようとしている。
3月予定の出産は少なかった。

4月の方が、保育園の抽選や扶養控除や児童手当においても有利だし、遅生まれの方が当然学校生活も有利になるからということらしい。

うちの子は3月後半の予定で、実際そう産まれた。

無計画の末のことなのだが、無計画なりの理由があるのだろう。
自分にはよくわからないが。
私としては、飛び級のような感じで1年上のクラスで受けられる感じだから、多少は頭の刺激になっていいんじゃないの、と思うが。

あまり公言することではないのかも知れないけど、学校生活に於ける勉強もスポーツも何の意味も無かったと、今では思っている。
当時もそう感じていたが、卒業して20年以上経ってもやっぱりそう思う。
大人になって、よりそう思う。
心底そう思っている。
あんなやり方で知性も体力も測れるはずもないし、育てられるわけもない。

2019年11月21日木曜日

身体を小さく丸めると大人しくなる

出産後、赤ちゃんを胎内にいた時のように、身体を小さく丸めると大人しくなる、と言うが、そんなこと無かった。

息子は、生まれた直後から身体を反っていた。
背を丸めてくれない。

抱っこしているか、反っているか。

育児本にはCの字に丸めるとか書いてあるのですが、息子は一貫して嫌がりました。

2019年11月20日水曜日

話しかける速度が意味になる

赤ちゃんが聞いているのは、言葉ではなく、話しかける速度であり、それがそのまま意味となる。

観察していると、実際にその通り。
赤ちゃんはそう受け取っている。

昔は、われわれも皆そうだった。
そう受け取っていたはずだ。

われわれ、現在の大人にとっても、速度が意味だった。
言葉は聞いていない。

暖かいか冷たいか。
視線が合っているか合っていないか。
空腹に対する知覚。
尿意便意への知覚。

それらの急速な変化。
それらの急速な変化への周りの大人たちの同調と調整。それから分節。

忘れているが、それらは潜在意識でずっとわれわれを縛っている。

これら育児による潜在的な感覚の同調への開眼は、私の操法に甚大な影響を与えるだろうと思う。

野口整体は感覚が主体であるから廃れたのだと思うが、誰でも赤ちゃんの頃の初心では感覚主体で生きているのに、主観的感覚主体の健康法が廃れるというのは間違っている、と私は思う。