胎児による善導。
妊婦は意志では自分を統御できない。
子供の存在が、親を統御する。
そうして文化が創られ、守られてきた。
子供は親を導こうとしている。
聞く耳が無いのは親の方だ。
家族という単位が最小のものであるべきと、私は思う。
行き過ぎた個人主義は快楽以外のものを求めないし、同時にその快楽は個人という外殻を守ってくれるものではない。
むしろ破壊に導く。
実際には個人という外殻を維持することができるのは、家族に守護されているからであって、また家族が維持されるのは当然のことながら、新たな子供たちの誕生によっている。