2021年4月15日木曜日

約3年ぶりの妻の風邪

しばらく前から腰痛を主張。
2日前から風邪となり、観察。

操法。
胸椎5番を中心にする。
詳細は省くが、妊娠出産の氣張りが息子2才の誕生日を境に弛んだようだ。

授乳の関係もあり胸郭が弛まず、それが骨盤にも影響していて、生理不順の原因にもなったと推察。
風邪は胸郭を弛め骨盤を弛めるためのものであると感じた。

腰痛はこの過程の半ばの自覚によるのではないか。
右の風邪だったが、これから、左でも風邪をひくのか、経過を観察する。

風邪の観察はほんとうに難しい。
風邪の理由、腰痛の理由は無限にある。

このような身体観と操法の手順を残された野口晴哉はやはり天才としか思えない。
現代日本人が自力でこのような身体の観方を創り出せるわけがない。
型は伝えなくてはならない。

2021年4月11日日曜日

お姉さんに遊んでもらう

2才の息子が公園で二人の小学生の女の子に遊んでもらった。
その子たちは二人で滑り台の頂上でお菓子を食べながらずっとおしゃべりをしていた。
息子はその二人の前を何度も行ったり来たりしたりして注意を引こうとしていたが、二人は無視していた。
息子はしつこくその場を離れないので、二人が降りてきて、息子を追いかけまわした。

しばらくすると、その内の一人が「動画をとってもいいですか?」と妻に聞いてきた。
了承すると、スマホで撮りつつ実況中継をしながら、追いかけまわす。
息子は嬉しそうにグルグル滑り台の周りを走っていた。
15分ほど撮影していた。
子供たちは飽かず疲れず追いかけっこをしていた。

印象的だったのが、二人の女子小学生が「可愛い」と一度も言わなかったこと。
昔の女子はとりあえず「可愛い」と言っていたが、言わなかった。
女子の「可愛い」という言葉は共同性の確認と言う説があるが、それがほんとうだとするなら、もう共同性を言葉で確認する必要はないんだろう。

言葉による瞬間的共同性の確認というより、動画の保存とその情景の補完的な言語描写により、時間の共有をバックアップするのだろう。
編集してバックアップ、バックアップして編集。
上手くいけば永遠に共有される動画を身体の外部に共有材として保存できる。
サーバーが火事で燃えなければいいね。

その女子は、スマホで動画を撮りながら、情景描写をしていた。
そして息子には決して触れなかった。

スマホが永遠性に直結していた。
このご時世に女子小学生を凝視して観察する機会が得られたのは僥倖だった。

年長者としては、彼女たちがテクノロジーではなく、芸術に触れる機会があればと思う。
また、子供同士であれば、身体に少しは触れるのが自然ではないかと思う。
最後に手を振って別れた。

私の運が良ければ、彼女たちに整体操法をすることもあるだろう。
彼女たちの背骨に触れた時に、私が何を感じるかまったく想像がつかない。

2021年4月5日月曜日

はやい、たかい、おおきい

息子。 
テレビで走る電車をみて、「はやい」は言う。
モニター越しでも速度はわかるわけだ。

「たかい」は実地にボールを頭の上を放り投げた時、はじめて言った。
「おおきい」も同じく大きな車に対して言った。

モニター越しの現実と本当の現実は違うようだ。
乗りあってはいるが。

視聴覚が届かない領域はどうか?

存在しないように思われることがあるが、重視すべきは触覚だろう。
何故触覚を破壊しようとするか?

現行の政治権力は皮膚を介した接触を禁止ないしは迂回する方向に進んでいる。
性行為も。
受精も。
出産も。
直接的な接触を避ける、抑制する方針だ。

何故か?

とりあえず、氣の否定と私は解釈している。
触れて、氣を感じることを禁止したいわけだ。
感じるな、考えろ、というわけだ。

高くて大きなものとは、とりあえず、山と海だ。
当面はこの二つが人々の心の拠り所となるのだろう。
速度からは距離を置いた方がよいようだ。

2021年4月3日土曜日

けん玉

この間けん玉を初めて持たせてみたら、膝で持った。
何も説明などしていないのに、すっと、膝で皿に球を乗せようとした。

玉を皿に乗せることも、膝を使うことも教えていないのに、そうした。

非常に示唆的だった。

言語とは何か?
道具とは何か?

他の身体に己の身体を触れる時、その仕方を本当に言語化できるのだろうか。
そこに普遍の方法などあるのだろうか。

2021年3月31日水曜日

内面

内面が育つ。
1才から2才へのこの時期。
外から与えると、裡が育つ。

毎日育てていると明らか。
毎日少しづつ与えないと、育成されない。

この過程を国家に管理させるべきでない。
保育園は現場の方は薄給で頑張ってらっしゃるが、限界がある。
必要なものやことを子供に毎日与えないと、取り返しのつかないことになる、という印象。

昔と違い、現代日本で子供を放っておいて自然に育成される、ということは稀だと思う。

自分自身の内面の幾分かは確実に外から意図して与えられたものによって作られた、と育児によって識る。
自身の内面に自分の意志は関与していない印象を受ける。

2021年3月15日月曜日

仮病

息子が痛いとよく言うようになった。
仮病の始まり。
痛くも無いのにいたいと言う。
あからさまに。

人間は仮病を使って、人の氣を引く。
この種の野口先生の洞察を以前は「凄い」と思っていたが、育児をするようになって、この見方は当たり前のことだ、と認識を改めた。

幼児はほんとうにあからさまに仮病で人の氣を引こうとする。
しかしまた、何かを手伝おうとする私の足を両手で押して、自分でやる、という意志も同時に見せる。
向こうへ行け、という動作もよくするようになった。

仮病と自立は同時に芽生えた。
1才10ヵ月。

2021年2月23日火曜日

深夜息子が笑う

夜寝ていて、息子が寝たまま笑う。
楽しそうに。
大好きな救急車に乗っている夢でもみているのか。
想像すると、とても楽し氣で微睡ながらも嬉しくなる。

1才児の見る夢はどんなものなんだろうか。
想像するとこっちまでワクワクしてくる。

2021年2月17日水曜日

息子、表情の変化が速い。
無表情から、笑顔への速度。
何も考えていない。
私への信頼しかない。
この速度変化が人生において最重要と知る。

息子が生まれるまでは、この速度を完全に忘れていた。
私も、子供の頃は自身の裡から湧き出るこの速度があった。

自発的な興味や関心の速度と変化、それらを行動に移す為の勢い。
そして他者に訴えかける言葉と行動による力。
これらは、無表情から、笑顔への変化の速度、破顔一笑においてのみ育成される。

この破顔一笑を養生する為には、親の子への氣の速度変化が必要不可欠。
親の子への氣が欠けていると、子供の破顔という感触は得られない。

親は氣の速度を毎日試される。

子供は笑いたいんだよ。子供が笑いたい速度で笑わせるんだよ。
面白いことなど言う必要はなく、ただ氣を向ければよい。
子供と同じ速度の。

2021年2月13日土曜日

発酵食品で手が

息子が発酵食品で手を使うのが嫌になり始める。
1年と8ヵ月位だったか。
手がべたべたになるのが気持ち悪いようだ。
発酵食品とは納豆。

離乳食から、普通の食事に入るあたりで、好きになったのが納豆で、ご飯より納豆をよく食べた。
もちろん手づかみなので、後の処理が大変だった。
お湯と石鹸で手と顔を洗い、服も着替えなくてはならない。
それでも、その時期は食べてくれるだけありがたいので、好きなように食べさせた。
こちらがスプーンで食べさせようとしても、食べない。
自分の手づかみでだけ食べる。
諦めて好きにさせていた。

それが最近は多少はスプーンを使うようになった。
突然手がべたつくのを嫌うようになる。

どうも、湿気の多い国での発酵食品の発達が、食器の発達と食べ方の作法に影響を与えるようだ、と氣づいた。

インドでは手づかみという。
暑いところだと、発酵食品は発達しない。
すぐに腐るんだろう。カトラリーなど無意味。
だからスパイスが発達するんだろう。
息子は納豆を手づかみするのが嫌で、匙を使うようになった。このことは明記しておきたい。

2021年2月5日金曜日

嫉妬

息子が私の後ろにいて、私たちはテレビを観ていた。
観ているのはアニメ。
三兄弟が微笑ましく助け合って生活している様が描写されている。

私が何度か観ているそのアニメを指して「この子たちはすごくいい子たちなんだよ」と誰にともなく言うと、後ろの息子が私の背中をバンバン叩いた。

ビックリした。 
テレビのアニメの子供たちを褒めただけで、私の背中をバンバン叩く。
嫉妬。
アニメに対しても嫉妬するものなのか、と。
はじめての嫉妬は親の氣を引くという処に関与していた。
嫉妬の根源は性でなく生に関係しているようだ。

1歳半を過ぎたころから、感情が発達して複雑になってきた。
それにつれて、表情も変化してきた。
赤ちゃんではなく、子供の顔になった。