息子。
テレビで走る電車をみて、「はやい」は言う。
モニター越しでも速度はわかるわけだ。
「たかい」は実地にボールを頭の上を放り投げた時、はじめて言った。
「おおきい」も同じく大きな車に対して言った。
モニター越しの現実と本当の現実は違うようだ。
乗りあってはいるが。
視聴覚が届かない領域はどうか?
存在しないように思われることがあるが、重視すべきは触覚だろう。
何故触覚を破壊しようとするか?
現行の政治権力は皮膚を介した接触を禁止ないしは迂回する方向に進んでいる。
性行為も。
受精も。
出産も。
直接的な接触を避ける、抑制する方針だ。
何故か?
とりあえず、氣の否定と私は解釈している。
触れて、氣を感じることを禁止したいわけだ。
感じるな、考えろ、というわけだ。
高くて大きなものとは、とりあえず、山と海だ。
当面はこの二つが人々の心の拠り所となるのだろう。
速度からは距離を置いた方がよいようだ。