2019年2月18日月曜日

胎動、活元運動

妊婦の体験談を読みますと、臨月が近くなるとお腹の赤ちゃんが中から蹴るといいます。
肋骨まで蹴られるということもあるようです。

うちの子はあまり強くは蹴りません。
痛いくらいに蹴飛ばすことはない。

赤ちゃんがよく肋骨まで蹴るのは、居心地が悪いからではないかと仮説を立てています。

活元運動でもやり込んでいると、動きが細かくなります。
畳の上を転がりまわったりなどしません。
初心の方は、自己の開放ということですから不随意に動ければそれでよいです。天心で動けば。

しかしやり込めば統制がとれてきます。
天行健といいますが、天心には統制があると思う。

この統制ですが、意識が覚醒しているときの随意の身体運動がある程度固定されているなら、無意識に集注している時の不随意の身体運動も、当然のことながらある程度固定化されます。
一般的には、この意識と無意識、随意と不随意の統合という、活元運動に対する解釈でよいと思いますが、私はほんとうには身体というものは、意識と無意識のふたつの領野に分解できるとも、跨るとも思っていません。

胎児の胎動は活元運動ではないかと思う。
これが運動の初発であって、終点。

胎児には意識も無意識もない。
随意も不随意もない。そのふたつがじょじょに分離すると言われているが、私は信じない。
その身体は母と一体になっていて、世界から孤立していない。
その時の記憶を人間が忘れるはずがない。
誕生の瞬間から、母と切り離されるとされているが、私は人間が他者から孤立することは、ほんとうはありえないと思っている。
孤立すると自立できない。

母親が指導者であるから、母と子二人きりでの胎児の運動速度にあわせた散歩が胎児に対する指導になる。
母による指導が行き届いていれば、肋骨を痛いほど蹴り上げるような活元運動はしないのではないかと思う。
妊娠状態とは相互運動です。

相互運動で他人の身体を蹴っ飛ばしたりしないでしょう?