2019年1月31日木曜日

眼から入った映像が頭を緊張させる

師匠からサラッと言われたひとこと。
たしかにそうだなと思う。

頭が緊張する理由のひとつには、ただぼんやり視ているスマホの画面の端に扇情的な広告が掲載されているということがあると思う。

視たくて視てるならそれでいいわけですが、視たくも無い画像映像を強制的に見せられる。

テレビの場合はそこまでの画像映像は放映されない。
テレビはテレビで問題の多いメディアですが、インターネットはインターネットで別種の苦痛を人間に与えている。

無防備な時に、眼の端に入ってくる映像は意外に影響が大きい。
電車に乗っていても、最近はバックライトの広告から逃れられない。

消費を促す広告+バックライトという組み合わせは、本当に苦痛。

あれならまだ昔のエロ本の方が叙情的で風景の中に溶け込んでいた。
あの時代のあれらは、性器的緊張であって、少なくともいまほど頭は緊張しなかった。

2019年1月28日月曜日

体癖別基本操法

体癖別基本操法というものがある。
体癖別に決まっている一連の操法の型がある。

これの使い方がわからなかった。
例えば1種の基本操法を1種にすればそれでよい、健康になる、というような単純なものではない。
どのような仕方でどう使えばいいかわからない操法が整体にはたくさんある。

先日師匠が、ご夫婦、夫1種、妻3種、の組み合わせに於いて、1種である夫に3種の基本操法を行ったと聞いた。
その意が、3種である妻の気持ちを身体で理解する時が夫に来た、その為3種の基本操法を行った、とのことだった。

そういうことか、と私はようやく、体癖とは身体の偏りではなく感受性の偏りであり、ましてや体癖別基本操法は病気治しの為に使うものでないということの意味が理解できた。
その為の体癖別基本操法なのかと得心した。

体癖別基本操法はそれぞれの体癖の基本操法で指導者の身体の使い方がまったく違う。
例えば、3種はやはりふわふわした感じ、5種はテンポと歯切れのよさ。7種は量感で、このすべての体癖の身体の使い方を指導者は体現しないとならない。

自分にもともと無い体癖の動きを自分自身がその通り動いて、被施術者に身体で教えなくてはならない瞬間があるということ。

この辺が、他の療術と野口整体の大きな違いになっている。
野口整体の操法は、処と型とその手順を教わりさえすれば、すぐに誰にでも使える、というようなものではない。
このツボを押さえればこれに効く、というようなものではない。
どうしても修養が必要になる。

しかし、古武術などを介した身体操作を修め、古人に近い動作法をすれば、この体癖別基本操法を使えるかというと、それも違う。それは不可能なことだと思う。

以前にも書いたが、整体は真剣を中心とした身体操作法ではなく、自分以外の他者の苦しみという身体感覚を中心に布置された身体操作法であるからだ。
廃刀令(明治9年)以後の身体観が中心になっている、半ば近代的な技であると、私は思う。

だから人間性の幅のみが、これを可能にする。
そして、整体に於いての人間性の幅とは、身体の弾力で、それは、活元運動と相互運動によってのみ身体の上で把握される。

だから、野口先生は活元運動と相互運動を推奨したわけだが、一般の方のほとんどは普段の偏り疲労をとる、という程度の動きしかできない。
ほんとうの活元運動は稽古であり、相互運動は手合わせである、という認識をもたないといけないが、それでは単純に健康法を求めている一般の方には、あまりにも敷居が高いだろうと私も思う。

一方に処と型があり、一方に感覚と即興がある。
そして中心には二つ以上の身体とその運動がある。
実際、ここには治療法も健康法も無い。

深みに嵌れば嵌るほど、野口整体の重要性と廃れる理由とがよく感得できるようになってくる。

2019年1月25日金曜日

妊婦の散歩

整体では、妊婦に一人での毎日の散歩が推奨されている。
何かのついでや、誰か他の人と一緒でも駄目。
夫であっても一緒に散歩しない。
自分一人のペースでお腹の子と対話しながらの散歩が求められる。

この話を聞いていて、妻もせっせと散歩していたのですが、この季節の妊婦は不利で、やっぱり寒いから外出が億劫になる。
しかも八王子は23区内とは比べものにならない位寒い。

この寒い中の毎日の散歩にどれほど意味があるのか、と思っていました。

ある時妻が、昔は大家族が普通で妊婦の周りに人がいっぱい居て、一人になる時間がないから、野口先生は散歩しろとおっしゃったんじゃないか、ということを私に言った。
なるほどそうかも、と思い、それなりに納得していた。

何日か後、散歩から帰った妻が、あれやっぱり間違っていた、と。
外を一人で歩いていると、頭が空っぽになる、家に居ると、たとえ一人でもあれこれ考えてしまうけど、外だと考えないし腰が動いて柔らかくなる、とのこと。

用件なし、で頭を空にして、お腹の子が向かいたい方に、その速度で足を進めることが、やはり重要なのでしょう。

ひとつ整体的子育ての確認が取れたのでよかった。





2019年1月19日土曜日

妊娠前から身体をつくる

妊娠してしまいますと、どうしてもお腹の子に集注するので、その時点では、もはや母の身体に集注できない。
その暇がない。
これは我々の実感です。
妊娠すると、その瞬間からもう完全にお腹の子が中心になります。

例えば、胸椎4番に問題があるとして、ここはお乳の出にも関係していますので、事前に調整しておきませんと、妊娠後の母の身体(もう、ガラッと変わります)で胸椎4番の調整をしようとしてもなかなか上手くいかないと思います。
一箇処位ならいいでしょうが、普通何箇処も連動していますから、事前に身体をつくっておかないと、出産の為の身体構えのようなものを構築するのは難しいのではないでしょうか。

操法をただ受動的に受けるだけでは駄目だと思います。
自分で自分の身体を見つめることが大事だと思います。
その為の技術体系や方法論が野口整体にはあります。

簡単ではないです。
地味で地道な作業ですが、やってみる価値はあると思います。

若い頃身体の弱かった妻は、15年以上様々な野口整体系の道場を渡り歩いてきたのですが、その経験があって妊娠でき、また現在までのところ経過も順調であると言っています。

整体を通した身体づくりは若い頃から行うのがよいと思いますが、あまり明瞭な実感や効果を伴うものでもないので、継続する人は稀だと思います。
それでも、なんとか我々の経験を交えて技術と知識を伝えていきたいのです。

2019年1月16日水曜日

胎児は悟っている

狭い処でじっとしていて9種みたいだ。
臍の緒を引っ張ったりして遊んでいるという。
日々世界の外殻に触れたり蹴ったりしながら、世界の外に、ただ耳を澄ましている。
この時世界の輪郭は二つある。
外から声をかけられるからだ。
その声は、時がきたら出て来い、と言う。
いくつもある声の中、自分に向けられる少数の特定の氣。
背後に存しているのは複数のリズム。
息、血流、歩行。

ここまでの閉眼に対する集注が9種。
出生後の開眼に対する集注が10種。

この二つの体癖、その差の一つは言表するところの文字であり、もう一つは視覚による身体統御由来の世界の一元化にある。

これから先、注意の集中密度が身体に積層してゆくが、次の段階は直立二足歩行に於いて始まる。
この時、必ず特別な何かが起きるはずだ。

2019年1月15日火曜日

頚椎2番左と左手拇指

やはりこの2点は繋がっている。
左手拇指は最近は休めているのに、痛む。
指が痛むのは全身で押さえていないから、指だけで押さえているから、と言われるが、私の場合は思考回路の問題のようだ。

考え方が拇指に影響を与えるようだ。
上下型の急所か。

2019年1月14日月曜日

騒音

師匠に、君の好きな音楽は、お腹の子には騒音に過ぎない、と言われる。
私の好きな音楽はもともとノイズ・ミュージックなわけだが……。

妻の要求でジブリのサウンドトラック集を購入。

『崖の上のポニョ』のタイトル曲を聴くと、お腹の子がよく動くとのこと。
単純で楽しげな曲が好きみたいだ。
『風の谷のナウシカ』の久石譲の娘さんが歌っている例の「ランランララランラン」の曲でも、動く。

小さい女の子が歌っている曲に反応が大きい。
お腹の子は、もうすでに外の音が聞こえているし、かなり認識しているように感じる。

2019年1月13日日曜日

やたら動く

7ヶ月くらいから愉氣をすると、やたら動く。
現在8ヶ月目。
医学的にはこの時期に筋肉をつくっているらしい。

普通の人でもこの時期になると、お腹に手をあててみるだろう。
よく動いて楽しいから。

私どもはもっと早い時期から愉氣をしていたが、初期はやはり反応がないので半信半疑のところもあった。
胎児が小さい時は動いても内側から子宮に触れられないので動いているかどうかわからない。

エコーで見たあと、やはりたしかに居るんだ、となり一生懸命愉氣したが(私の母の世代でも触診と聴診器だけしかなかったといっていたが)、古人にはエコーどころか聴診器などもなかったわけで、だからその時何をしていたかというと、きっと手をあてて内観していただろうと思う。

神経や骨組織が形成される8週目までの妊娠初期に闇雲に手をあてるということが重要な氣がする。
胎児が動くのが面白いから、愉氣をするというのであると、母子共々の意識が筋肉に集注すると思う。

それでいいというのであれば、それでいいのでしょう。否定はしません。
ですが私は神経と骨に集注したいのです。
そしてそれ以前の氣の動きに。

行うは難しで、私もエコー動画を観てやっと本腰を入れたわけで、眼で見ないと納得しなかったのは情けない限りです。

でも、産婦人科のHPからスマホにダウンロードした(最近はそういうサービスがあるのです)わが子のエコー動画を観ながら深夜に飲む酒は旨いものですヨ。

2019年1月12日土曜日

5ヶ月目と7ヶ月目

妊娠5ヶ月目と7ヶ月目に妊婦はどうしても食べたいものが出てくる。

それはお腹の子が食べてがっているもので、それだけは絶対に食べさせなくてはならないと言われていて、それを食べさせることだけが妊娠中の夫の唯一の勤め、ともされている。

食べたがるものの多くはくだらないもので、子供のころ食べた駄菓子などが強烈に食べたくなる、などとも。

結論から述べると、夫婦ともども注意深く観察していたのですが、この2ヶ月間、強烈に何かを食べたがるようなことはありませんでした。

5ヶ月目に妻がなんとなく林檎が食べたいと思っていたときに、義母がたまたま林檎を持ってきて、妻の母は3種なので、やっぱり勘がするどいねえ、と言っていたが、それももしかしたらこれがそうだったのかも、という程度の感じ。

そして、7ヶ月目はとくに何事もなく、過ぎていった。
普段は避けているジャンクフード、マクドナルドのフライドポテトをそれなりに食べたかな。

妻は3種が入っているので、普段からおおむね食べたいものを食べたい時に食べる。
それもあるのかとも思うが、特に何もなかった。

8ヶ月目に入ってから急に、やっぱりあの時、焼きまんじゅうが食べたかった、と言いだし群馬名産の焼きまんじゅうを通販で購入させられた。
意味があるんだろうか。お腹の子じゃなく、自分が食べたいだけなんじゃ……。

2019年1月11日金曜日

手が溶ける

お腹の子に愉氣していたら、手が溶けていった。
こういう手で愉氣するんだよ~、と教えてもらってるようだった。

子からやってくる氣を、こちらが、そこに手を合わせる感じ。
拮抗が整体の基本であるわけだけど、それが感覚的に理解できた。
氣が拮抗する時にだけ、集注の点が移動する感じがある。

いきなり懐に入るべきでない?

しかし、手が溶けるとはどういうことか。
もちろん内観的な手であるわけだけど、よくわからない。

他者に触れるときの皮膜が別の処に移動したのだろうか。

2019年1月9日水曜日

カニババ

整体では赤ちゃんが生まれた後、カニババ(胎便)を出し切るまでは初乳を与えてはいけないといわれている。
親から受け継いだ悪いものを出し切る前にお乳を飲むと、後にアトピーなどの病気になるとされている。

その話を、助産師さんにすると、赤ちゃんは産後一時間が一番覚醒してるの、出てきてすぐおっぱいを探し出すのね、それからすぐ寝て、2日ぐらいほとんどずっと寝てしまって、たまに起きて胎便をだすねえ、だからみんな結構その2日間で出し切ると思うヨ。あはは。

と、おっしゃった。
へえ、と思いました。
この話が正しいとすると、野口先生はお乳を飲みたがってる赤ちゃんを一時間制止して、飲ませずに、肝臓に愉氣していたことになる。
わかっててやってるのだとしたら、すごい感覚だ。
たしかに、よくよく考えてみると不思議というか、寝起きでそんな腹へってる?
とかも思います。
赤ちゃん、本当は何か別のものを探しているのかも。

しかし、テレビで馬とか牛とかの出産映像を観ていると産まれてすぐにお乳を飲んでいる。
人間が家畜動物を観ていて、出産後すぐにお乳を飲む様子を刷り込まれたのかもしれないし、やっぱり本能で飲みたがるのかも。
もしくは、左右型とそれ以外の体癖ではしょっぱなから行動特性が違う?

いずれにしても、病院で産むと、新生児室は別室でそこにすぐに連れて行かれ、お乳の時間になると授乳室で授乳して、授乳が終えたらまたそれぞれ別の部屋に帰る、という病院もあります。
こういった方針を取っている病院で出産した場合は赤ちゃんの個性は何もわかりません。
産まれたときから、数字上の時間通りにあらゆるスケジュールが決められています。
本能など何処吹く風です。
その分、国全体の出生時死亡率は下がるのでしょう。

最近はカンガルーケアなどといって、出産後すぐに赤ちゃんをお母様が抱っこしてしばらく過ごす、というオプションが用意されている病院、産婦人科もあります。

私は今回の妻の出産で様々ネットで調べまして、それぞれの病院や医者によって、まったく考え方が違い、方針そして料金も違うということを知りました。

国家は、人間の誕生を管理する方向ですが、今のところはまだ路地裏のような抜け道がいくつかあります。
本音では、国家としては助産院を無くしたいのでしょう。

私の孫の世代は自宅出産など許されるのでしょうか。
その時はもう完全にできなくなっているような氣がします。

本能のままの出産などあっちゃ困るんでしょうね。

2019年1月2日水曜日

今年の抱負

明けましておめでとうございます。

昨年の抱負を読み返しますと、整体や操法のことを言語化したいと、書いていました。
年の半ばで妻が妊娠をしてから、猛烈な忙しさに襲われ、なにもかもが後回し、先送りになりました。

後半は整体出産に向けての準備が生活のすべてとなり、ブログの更新もままなりませんでした。

本年初頭は整体出産を無事に経過する、という一念のみであります。
それが、今年のすべてとなります。
これ以上に重要な事柄は我々夫婦の人生於いては存在しません。

今年は昨年以上に更新が滞るかもしれませんが、出来る限り記録を残すつもりではいます。

本年もよろしくお願いいたします。