2018年11月17日土曜日

ヒク

身体外で何かが生じその状況に対して、ヒク、という身体状態の時、観察していると、二つの対応の仕方がある。

一つ、幽体離脱の様に、身体の中心を体外に置き、氣をそこに移動させる仕方。
二つ、丹田を身体の中心として氣をそこに集める仕方。

一つ目の仕方は、身体に隙が生まれるので危険が大きい。しかし多くの現代人はこの仕方で状況に対処する傾向があるように観える。
イヤホンで音楽を聴いたり、スマートホンに夢中になっている身体状態はテクノロジーに拠りその身体状態を造型している。
テクノロジーに拠る、ということは意識的な身体統御を介さないわけで、より隙と危険が大きくなる。

二つ目の仕方が正解なのだろう。
しかし、これも現代人には難しい。なぜなら科学的医学的解剖学的には丹田など、存在しないからだ。

「ヒクワー」と言って、氣がヒク、どんどんヒク、するとそしてそこで、どこに達するか。
氣がヒク先、とは何処だろう。インターネットの中だろうか。
状況が変わった時、氣が戻るべき身体は存在しているのだろうか。
そして身体の何処に氣は収まるか。




2018年11月14日水曜日

最初の胎動までの日数

最初に余談ですが、妊娠中に引越しするのは止めた方がよいです。
また、妊娠中に引越しをしながら、PCを買い換えるのも止めた方がよいです。
限界を超えた一ヶ月でした。

妻に胎動がありました。
野口整体では、受胎から131日目に最初の胎動、そしてその胎動の翌日から131日目が分娩予定日となる、と教わっていました。

胎児は、最低263日は母のお腹にいないといけないと。
263日以後でしたら、いつでもいいのです。
遅いのは構わない。
ただ、この日数よりも一日でも早いと早産となり、片目の動きの速度が遅くなる、と言われています。
早産がよくないのです。

さらに、受胎日の判定なのですが、現在の医学、産婦人科では「最後の生理の初日から二週間後」を受胎日と定めています。とはいえ、これは生理周期が28日できっちり来ている女性であって、生理不順の方は、この限りではないです。
実際に、私の妻は周期が不安定でしたので、医者には生理周期をとりあえず30日と伝えたところ、最後の生理の初日から二週間プラス1日として計算されました。
プラス1日の部分はなんとなくという感じでした。
結構アバウトです。

整体の受胎日の判定はこういった計算はせずに、「あの日」ではないか、という勘です。
そして、その受胎日から131日目に最初の胎動がある、という話でしたので、私は楽しみに待っていたのですが、最初の胎動は10日早い123日目に来ました。
本当は121日目に、「これじゃないか?」という動きがあったのですが、勘違いなのではないかと思い、待っていました。
確実に動いたと言えたのが、123日目でした。

言われていることと全然違う!
10日近く違う。
どういうことか?
こういうことが続きますと、過去に言われてきた野口整体での出産に関する数字は、すべて目安、としか、受け取れなくなります。

でも、それならそれでいいのです。
言われてきたことと、実際の現実が違うと、どこか喜びを感じもします。これは私の性格でしょう。

これからも経過の観察を続けていき、記録を残します。

(追記)11月15日朝131日目、妻は胎児がグルッと大きく動いた感触を得て目を覚ました、とのこと。自分の居心地のよい処に身体移動した感覚。もしかしたらこの大きな動きが野口先生の言う「胎動」なのかもしれない。




2018年10月19日金曜日

妊娠

師匠、私、妻の三人での稽古にて、私の現在の身体の状況を教わる。

胸椎5から吐き、腰椎1で吐き、弛めようとしている。
腰椎1の左、2種の体勢から、腰椎1右に移り1種の体勢に、そこから腰椎4の右に移り10種の体勢で鬱散しようとしている。

腰椎3の左が仙椎2番に結び付き、頭部第2の左と仙椎2番の左が結び付いている。

ここで重要な2点、頭部第2と仙椎2番の氣の結び付きが、横にいる妻のお腹へと繋がり、三角形を作っている。

状況を説明すると、現在妻は妊娠しており、そのことに対して、仙椎2番における妻への同調と、頭部第2での私の観念の変化、その氣が向かう先が、妻のお腹の胎児ということになる。

10日ほど前に結構な火傷を左腕にしたのだが、それは、仙椎2番に焦点が集まると、火傷をするから、とのこと、それと、その時点での胸椎6での焦りの気持ちが結び付いているからだと。

吐きが強いのは低潮。今の私は吐きが強い。この波は月の波。
今の私の大きい高潮の波はあと、2年半くらい続くはず。
月の波としての低潮期に火傷をした。
(波、は月の波、氣の波、水の波など、さまざまにあり、複雑)

2種の体癖を様々に体勢を組み替えて、全うしようとしている。

その後、妻の操法(この日私は操法を受けなかった)。
自身が逆子として生まれてきたことを乗り越えるための風邪。
胸椎5と7で動いている。
この時の胸椎5は粘膜の風邪という意味の胸椎5であって、本筋は胸椎7にある。
妊婦の胸椎7の左1側の硬結は難しいことになる、と教わっていて慎重に観察していたが、逆子の7番だったようだ。
つまり、妻の母が、妻を出産した時の身体の状況が、現在の妻に生じている。

妊娠したことを書いてもよいと妻に許可を得たので、今後少し記していくことにする。
今回はあえて注釈抜きで書いていったが、普段の稽古では我々はこういった話をずっとしている。何が書いてあるかほとんどわからないかと思うが、真剣にかかわった場合、野口整体は実際にどうやってもかんたんなものになりえない、ということを知っていただきたく記しました。














2018年10月3日水曜日

受胎から出産までの日数

平成16年5月23日の中等講座第二講での岡島瑞徳先生によると、

「受胎から出産までに日数は決まっていまして263日目で生まれる。それに狂いがあったら間違っている。何か身体に狂いがある。最初に胎動があった日から131日目で生まれる」

とのこと。
そして、これは何時の講義か定かではないですが、野口裕之先生の講義要旨によると、分娩予定日として、

「受胎から263日~5日」
「最初の胎動のあった日の翌日から131日目これは胎児への注意を集める方法でもある」

とある。
さらに野口晴哉先生の『誕生前後の生活』(昭和48年)によると、

「やはりちゃんと二百七十三日お腹にいないと駄目なのです」

とあります。
誤植だろうか。
一体、誰を信じるべきか?
それは当然、野口晴哉先生、と言いたいところですが、野口先生は『女である時期』に於いて女性の生理周期が明治大正昭和で変動してきたことを書いておられます。
徐々に短くなってきたようです。
栄養状態の変化か、観念の変化、社会全体のリズムの変化によるのでしょうか?

受胎から出産までの日数も、誰の言うことが正しいのか、というよりも、それはあくまで理想であるということを理解すべきでしょう。
我々は、上述の偉大な先生方のおっしゃっていたことよりも、今の時代に生きて生活している人間を見つめるべきなのでしょう。

古い資料は、やはり参考資料なのでしょう。
帝王切開は駄目で、自然分娩が絶対的に正しいとは、今の時代に生きている私には言えません。
理想と現実は違います。
どこかで妥協せざるを得ないです。

しかし、目前の身体に集注しようとすると、必ず国家が立ち上がる。
国家を思考せざるを得なくなる。
そして日本という国家をこのような形態に変形した勢力に対して思考すべきだとも思う。

私が、身体に着手しようとすると、2種体勢になる、その理由の一つ。







2018年10月2日火曜日

2種に操法ができるのか?

2種体勢が続いている。
上下体勢で他者に触れると、それだけで相手の氣が上がってしまう。

2種の体勢で操法は可能か、操法をする時には9種体勢になるのが普通なのではないか、と師匠に聞いてみた。

突き詰めれば可能なのではないか。
2種体癖の無い、あるスポーツの指導者が2種体勢になっていた。
生徒を指導するために、意識的に自分を消していって自然に2種体勢になっていた。
自分を消す、というところを突き詰めたらいいのではないか。

なるほどと思った。
整体操法は9種のするものだ、というのは思い込みで、他の道があるかもしれない。

とはいえ、師匠は道場に人が入ってくると、その瞬間意識が切り替わって何時でも9種体勢になってしまうようだ、とのこと。

2018年9月26日水曜日

妊婦、そして胎児に愉氣

妊婦、そして胎児に愉氣をする経験が、認識を変える。
氣は送るモノでなく、送られるモノでもなく、複数人が和合協奏する状態。

病を消去しようという氣は、生の本質から離れてゆき、資本に近づいていく。
そこで身体が資本に拘束される。

妊娠の状態は病ではない。
胎児に対する一方的な輸氣など生命の邪魔でしかない。

野口先生が輸氣から愉氣と表記を変更したのには、妊婦と胎児の存在が大きかったのではないかと思った。



2018年9月19日水曜日

身体の偏り

数ヶ月ぶりに師匠の操法を受けた。
胸椎4番と7番で動いているとのことで、妻と同じ動きだった。
妻の身体の状態が私にのっかっているとのこと。
2種の体勢だと、どうしても他人に同調してしまう。

頭での情報処理が許容範囲をこえると「浮き足立つ」。
重心が爪先に移り、左足の親指が引っかかって歩いていた。そして重心は外に。

重心を第一蹠骨に乗るように操法が方向づけられた。
氣を下げるには、私の場合深息法が有効、と言われる。

限界を超えている自覚はあるがもう少し頭を使う必要がどうしてもある。
やはり、人間はその思考や行動が偏ると、身体を壊すようだ。
とはいえ、社会が偏っているならば、その社会を批判的に思考検討する身体は偏らざるをえないのではないか。

この偏りは、体癖とは本質的に異なる偏りに属するのではないかと思う。

2018年8月8日水曜日

見立て

ある女性。
左足の親指を特殊なぶつけ方をした。
2度同じ処をぶつけたとのこと。

背骨などを観察の後。
師匠に、どういう操法をするか、と聞かれた。

私は左足とそして胸椎3、4が氣になるので、その辺り。
それから呼吸活点操法を中心に設計する、と。

師匠に聞くと、打撲のショックは前回やったから今回またやるのは刺激過剰、左足とその逆側の右手、そこを調整すると今度は胸椎5番が捩れてくるから、そこからまた別の展開になる、というようなことをおっしゃった。

治療ではないので、身体に対しての働きかけはどのような角度でもありうる。
正解はないと思う。
とはいえ、その時その瞬間の焦点は一つしかないと言われている。

身体は多層であり、浅いところも深いところもある。
そして様々に、各処が繋がっていて機能している。

どれも何処も機能していて、どれも何処も正解。

何処をどう観て、何処まで入り込めるか、なのだろうか?
科学的に観た客観的な身体を観ているのではないのは確かだ。
医学ではない。

見立ては、観るものの身体によって違ってくる。
同じ指導者でも、当然に体調によっても変わる。
主観しかない、とも言えるが、そうも言えない気もする。

とはいえ、客観では触れることの出来ない処に触れたいのだろう。
操法を受けに来る方も客観的に触れて欲しいとは思っていない。
主観で触れ、主観で触れられたいのだろう。


2018年7月28日土曜日

左股関節

師匠に私の左股関節が重要と言われる。
ここが頚椎2番につながっているとのこと。
体癖的な焦点でもあり、足を払ったりして治すというような問題ではない。
自分で自分の身体を見つめ直し、足の運びを訓練していきたい。

2018年7月18日水曜日

試験

3年間研修生をしてきたわけなのですが、区切りということで、研修生としての終了試験があり、受けました。
モデルを連れてきて、師匠の前で操法。そして師匠を操法、との話で準備も進めてきたのですが、予想通り、実際に始めてみると異なった展開になりました。

師匠は3種なので、その場でその場で言うことがころころ変わる。
私の体癖には左右型がないので、初めのころはぎょっとしましたが、3年間鍛えられて、今ではそんなものか、と思います。

3年間教わったことは、言葉にならない。
言葉にならない、なんて紋切り型、よく使いますが、ほんとうにそうで、言葉で構造化されていないことを延々と3年間繰り返してきた。
こんなことが私の人生に生じるとは思っていなかったのですが、起きました。

思い返すと、3年前、すべての楽器と機材を処分して、川崎まで引っ越してきたのだった。
文学からも、相場からも身を引き、音楽さえも止め、突然結婚して、弟子入りしたのだった。
そんなこと、もうずっと忘れてました。

あの時、道場で、意を決して、整体を教えて欲しいのですけど、と正座になって言うと、師匠は、いいですよー、と軽く言われたのだった。
後で聞くと、整体がやりたいことは身体を観ていてわかっていた、とのことだった。
3年間色々あったが、苦行は好きな方なので、稽古自体はなんでもなかった。
過去の資料を集めることも、それを読み込んで分析することも、なんでもなかった。
ずっと訓練してきたことだから。
特定の人間と密接な関係の中で、自分のすべてを変える必要があって、私はそれをした。
特殊なことを学んでいたので、密封して、圧縮して、圧を加えて加えて加えていった。元に戻る氣はなかったので、3年間、決して蓋を開けなかった。
この間、楽しい思い出しかない。

試験を受けましたが、そもそも普段から観ていて、どの程度できるかわかってますからねー、とのことだったので、まあそれもそうか、という感じで、やっぱり左右的に腰がくだけてゆく。

とはいえ研修生という立場ではなくなりましたので、どこか爽快な気分でもあります。