2018年8月8日水曜日

見立て

ある女性。
左足の親指を特殊なぶつけ方をした。
2度同じ処をぶつけたとのこと。

背骨などを観察の後。
師匠に、どういう操法をするか、と聞かれた。

私は左足とそして胸椎3、4が氣になるので、その辺り。
それから呼吸活点操法を中心に設計する、と。

師匠に聞くと、打撲のショックは前回やったから今回またやるのは刺激過剰、左足とその逆側の右手、そこを調整すると今度は胸椎5番が捩れてくるから、そこからまた別の展開になる、というようなことをおっしゃった。

治療ではないので、身体に対しての働きかけはどのような角度でもありうる。
正解はないと思う。
とはいえ、その時その瞬間の焦点は一つしかないと言われている。

身体は多層であり、浅いところも深いところもある。
そして様々に、各処が繋がっていて機能している。

どれも何処も機能していて、どれも何処も正解。

何処をどう観て、何処まで入り込めるか、なのだろうか?
科学的に観た客観的な身体を観ているのではないのは確かだ。
医学ではない。

見立ては、観るものの身体によって違ってくる。
同じ指導者でも、当然に体調によっても変わる。
主観しかない、とも言えるが、そうも言えない気もする。

とはいえ、客観では触れることの出来ない処に触れたいのだろう。
操法を受けに来る方も客観的に触れて欲しいとは思っていない。
主観で触れ、主観で触れられたいのだろう。