2021年1月26日火曜日

想い出

 若い頃は「想い出作り」とかいう言葉を馬鹿にしていた。
記念写真も嫌いで、自分は撮られることを避けていた。
だからあまり若い頃の写真などは残っていない。

年を取ると自分を支えてくれるものは想い出しかなくなる、ということを認めざるをえない。
過去の良い想い出だけが自分の支えになる。

本音は、過去を振り返ると後悔しかなく、やり直したいことばかりだ。
私のような中年にはもはや未来などなく、未来は自分の子供に完全に投影される。
これが普通の中年男性の精神状態だ。
子供がいなくなると、未来が完了する。

何が言いたいのかというと、後ろ向きに前に向かって歩くことを否定するべきではない、ということです。

2021年1月20日水曜日

上頸

息子の上頸。
ふと触れて押さえると、どこまでも入っていくような柔らかさ。
真っ白でまるで手ごたえが無い。

上頸とは頸椎2番の3側。
頭の中を覗いているような感覚。
何も考えてない。

吸収する前のスポンジの様だった。
かつての自分もこうだったのか。今では汚水にまみれているように感じる。

息子に触れていると、自分自身が浄化されていく。
息子の上頸に愉氣していると、自分の脳を洗っているような氣がしてくる。

2021年1月4日月曜日

遊び

スーパーに隣接している小さな公園でたまに息子を遊ばせる。
たまたま同学年の子供が息子含め3人いて、遊ぶ形になった。
男の子2人女の子1人。

皆ことばはまだ話せない。
つかずはなれずで、走り回って叫んで手を叩く。
あまりお互いに触れない。
絶妙の距離感。

この距離感は今しかないものだった。
言語でコミュニケートできるようになったらこうはいかない。
社会化される直前の氣の交換という感じに、その場にいた親たちは皆感じ入っていた。

大人たちはそこから皆何かを学んでいた。
非常に印象深かった。

誰しも、どうしても自分の過去と照らし合わせるだろう。
子供と子供が出会えば遊びがはじまる。
そこに打算は無い。
考えが無い。

性別はあり、別れる時、女の子は泣いて嫌がっていた。