息子は妙に言葉の習得が速い。動作もかなり素早い。
親としては成長が早いのは少し寂しい。
周りをよく観察しているから、最適な言葉が吐き出される。
言葉が遅い子を観ていると、周囲を観察していない。
息子は異常に周囲を観察している。
適度な言葉を発声するのは、観て聴いているからだ、そしてその前段に氣を感じている。
だから速度が速い。
子が氣を感じるには、親が子の氣を感じる必要がある。
親が感じて認識していないものを、子は感じないし認識しない。
氣がなければ、観察の端緒が得られない。
母胎にいる時に愉氣されていると、胎児は氣だけを感じるのだろう。
胎児は目も耳も皮膚も発達していないのだから、氣しか感じることができない。
だから氣がすべての基盤になる、氣の有る無しが生の根本として規定される。
目や耳や口すべてはその後に付け足される。
言葉と文字は最後にやってくる。