2020年10月31日土曜日

不思議

息子が欠けた月を観て「まんまる」と言う。 
何故か。
教えてもいないのにわかる。
月の本性が「まんまる」だということ。
欠けた月も満月も同じ月であると知っている。
それは認識しているというより、知っている、という感じ。
毎日月を見せているわけでもないのに。
実に不思議だ。

仮説としては、見ているのではなく、観ているのだということ、つまり息子は月を感じている。
目で月の形象を視認しているのではない。
だからつまり、光を見ているのではなく、闇を感じているということだ。
何の闇をかというと、月が浮かんでいるその周囲の闇だ。
闇が際立たせている。
目に集注しすぎると、闇を感じられなくなるということだ。

闇は目の裏、背中、足元からやってくるから、そこを感じられないと、氣が、そこから欠けてくる。
私は月に集注すると、まるい印象を受けるようになった。