2020年10月11日日曜日

公園で子供たちをぼーっとみていると

ほぼ毎日公園で子供と遊びます。
妻と子と私の3人だけで、毎日過ごしています。
今年は特に、コロナのこともあり、また我々は子供を保育園に預けておりませんので、毎日3人だけで過ごしています。
誰も訪ねてきませんので、気楽なものです。
何時かはこの幸せな三角形が終わりを迎えます。
息子が言葉を憶えるまでの人格形成上の最重要の短い期間に、ほぼ3人だけで生活できたことを何者かに感謝せざるをえません。

ところで、公園で子供を遊ばせている間に、他の家の子供たちが遊んでいるのをぼーっと観ていると変な感覚になります。
とくに昭和の時代に作られた年季の入った公園ですと、40年くらい前にタイムスリップしてきて、自分がまだ少年で周りの子供たちとお友達のような氣がしてきます。

子連れでなかったら、たんなるやばいおじさんなんですが、子供が居ますので怪しまれません。
じーっとその感覚に集注していますと、3才より以前のもうスッカリ忘れていた記憶が蘇ってきます。
それは具体的なエピソードとしてではなく、感覚です。
そうだった2才か3才の時、マンションの隣の部屋に住んでいたひとつ年上の女の子と遊んでいた時、こんな風だった、と思い出します。
それは言葉ではなんとも形容しがたい感覚と感情です。
温和な広がりのある、目や耳や口や皮膚がやわらかくなるような情感です。
あまりにそこに集注していると、子供の面倒がみれないので、あるところでスイッチを切りますが、その瞬間自分の目つきが悪くなることに氣づきます。
子供の危険を監視するのはすごく目が疲れます。

それだけの話なのですが、公園で多くの子供たちが走り回ると、ほんとうに氣の渦ができます。
たまたま自分がその渦の中に入ると、確かに、自分も子供の頃は、この渦の中に毎日いて走り回っていたことを思い出し、またそのことをずっと忘れていたことにショックを受けるのです。

ふと思いましたが、戦前や高度経済成長の時代の日本人は、周囲の建物がどんどん破壊されていったので、こういう感じで自分の子供時代を振り返ることはあまりなかったのではないでしょうか。
また、自分より世代が下ると、インターネットやヴァーチャルな世界も記憶に混入するため、こういった感覚には浸れないのかもしれません。

私のこの不思議な感覚も時代の産物で、一過性のものなのでしょう。
今の若い人たちは将来自分の子供時代をうまく思い出せなくなるような氣がします。
感覚的な話ですが。
子供時代の動画や静止画がたくさんありすぎると、当時の身体感覚には浸れなくなります。