2020年10月7日水曜日

頭部第一

子供が顔を近づけてくる。
私の手を取って、自分の顔に近づける。
私は自分の額、髪の生え際を子供の同じ処に接触させる。
子供はふふふと笑う。

この処を整体では頭部第一と呼ぶが、しかし、息子は何をしたいのか?
私の氣が上がっているのおさめたいのか。
はたまた自分の氣が上がっているのが不快なのか。

どちらかわからないが、兎に角、スーパーマーケットでの一齣。ほっと一息つく瞬間だった。
これを息子は日を替えて数回おこなった。

息子はまだほとんど言葉をしゃべれないが、おおまかに理解はしている。
うーうー言いながらこちらの手を引くことで意思を表示する。

別の時。
夫婦で軽い言い争いをしていると、息子は私の手を取って引いていき、また、もう一方の手で妻の手を取った。
3人で手をつないでいる格好になった。
喧嘩をして欲しくなかったようだ。
子供にも子供の要求がある。

1才半くらいの時の記憶は私にはない。
言葉も喋れなければ、記憶も無い、という人生の非常に特殊な時期だが、実際には感じているし、思考認識しているし、もうすでにひとりの人間として生きている。
とても不思議だ。
私は生まれてから今まで、この2才くらいまでの時間をまったく重視してこなかったが(当然ながら記憶にないので)、やはりこの時期が人生の裡でもっとも重要な時期であることを再認識した。

きっと、この時期の経験は忘れるが忘れないんだろう。
自分自身のこの時期を思い出すことが出来るのは、この時期を生きる子供に触れた時だけだ。
観るでも話すでもない。
もちろん読むでもない。
触れた時だけ。
そして、他者に触れるには、誰でも母親の胎内から外に出る必要がある。
子宮の内壁は自分の延長にすぎない。
人間がこの世に生まれてきた理由は他者に触れるためだ。