2020年7月18日土曜日

ないない、からの、あった

「ないない」はかなり最初の方から喋っていた。
どうも、私が、しょっちゅう何かを無くし「ないない」と言っているのを真似たようだ。

家に小さい子がいると、部屋が散らかりっぱなしになるので、何処に何があるかわからなくなる。
また、スマホなどは、子供がふと置いたところから勝手に持っていって、何処かに放置するので、とんでもない所に隠されていたりする。
散々探し回って、最終的に冷凍庫の中にあった時には驚いた。

ところで、最近はここに「あった」という語を憶えた。
「ないない」と言って、何か見つけると「あった」と言う。

「ない」は現在形で「あった」は過去形。
何故だろうか。

ひとつの仮説としては、事物への感情の強弱の波の張弛。
対象の事物への感情の執着が現在形「ない」で、その事物の存在を確認した瞬間にその感情は過去になるので「あった」。

時制の核は感情であって、対象の事物ではない。
時制は認識にもない。
感情の変化が認識に成る。
言葉は最後に来る。
言葉を発するのは、両親に対してで、興奮と鎮静の意味を与えて欲しいから。
感情の中を時間が動いているのか、時間の中を感情が動いているのか。
感情が消失しようとするその瞬間に言葉が生まれる。
とはいえ、その言葉はそもそも両親が与えた言葉だ。
ある視覚的な状況が繰り返されている。
その裡を、感情と言葉と時間が、感応して同調して、回転している。

最重要なのは、元々、存在しなかった息子が存在し始めた、我々の驚きや喜びという感情が中心にあること、これが本当に、ないない、からの、あった、という感覚。

2020年7月15日水曜日

寝相

我が家は大人用の布団を三枚敷いて川の字で寝ている。
子供にとっては布団は大きく、寝相としては、くるくる回転している。

テレビの育児番組などで、他の家の寝床をみると、すごく狭かったりする。
親がフローリングでベッドだと、子供も小さいベッドで寝ていたりする。

あんなことで起きている時の偏り疲労がとれるのかなと思う。
子供を小さい布団で寝かすと、無為の動作の訓練にならないです。
自分で自分の偏り疲労をとることができなくなります。

私は小さい時、二段ベッドの上段で寝ていましたが、夜中寝ている時に、そこからベッドの横で布団を敷いて寝ていた父親の上に落っこちてきたと、言われたことがあります。
4歳の時足の骨を折って入院していた時も、夜にベッドから落ちました。
どちらの時も、そのまま寝てたので、記憶にはありません。
でも、そのくらいが正常なのです。

ベッドで寝る西洋人が無意識の構造を発見しました。
それは日本人と違って、寝ている時にあまり身体を動かさないからだと思います。
無意識と言語の構造の相似形などでたらめです。
無意識と就寝家具の構造が似ているんです。
就寝時の身体運動と、言語構造は無関係です。
昼の身体運動と夜の身体運動の差異に注目するべきです。

2020年7月2日木曜日

15ヵ月

整体では女の子は13ヵ月、男の子は15ヵ月までに、大きな病や怪我をしない方が良いとされている。
息子が無事16ヶ月目に入った。
少しほっとした。

この時期の男の子は本当に大変だ。
一時も静止しない。
叫び声が日増しに大きくなっている。
言葉はほとんど喋れないが、こちらの言うことは結構理解している。
空気はとくに敏感に察する。
警戒心が異常に強い。私と妻以外にはまったく愛想を振りまかない。
壁や床にがんがん頭をぶつける。
布団だと真後ろにそのまま倒れるが、怖さを感じてないので、布団の先の畳みに頭を思いっきりぶつけたりする。

公園の向こうの方で遊んでいる同じくらいの年の女の子を観察していると、とってもおっとりしていて、動きもゆっくりしていて、じーっとお母さんの話を聞いていたりしている。
息子はじーっとしていることがまったくない。

育児を実際にしてみてわかったことですが、妊娠中の大変さ、出産直後の新生児時代の大変さ、歩き回れるようになってからの大変さ、はそれぞれ全然違う。
ここまで、氣が休まる時はなかった。
喋れるようになったら、また違う大変さがあるのだろうと思う。

ほんとうに氣が遠くなる。