2019年9月14日土曜日

感情は身体の特定の部分で感じる

子供が産まれた後に来てくれた助産師さんは優秀な方で、看護師の資格も持っていた。
話を聞けば、すぐに頭がよくて身体も頑健であるとわかった。剣道と空手を子供の頃からなさっていたという。

自分は最初病院の産婦人科に勤務していた経緯から、急変する赤ちゃんをたくさん見てきたので、出産はなめられない、というような感じだった。
将来助産院で働きたい、と言ってくれる看護学生はうれしいけど、最初は絶対に病院で働いた方がいい、とも。でも、一度病院で働いて急変するたくさんの症例をみると、怖くなって、助産院では働けなくなる、とも言っていた。

この方に、我々は出産後、少し疑われた。
自然派育児、みたいな人たちの中には、陣痛の時間などをわざと助産師に嘘をついて、自分達だけで出産を行うようなグループがいるそうで、我々も整体式で産む、と言っていたので、その手なのではないのか、ということで疑われたのですが、さすがに私も、41歳の初産の妻の出産を自分一人だけで仕切る度胸も技術もないですよ。

とはいえ、どう考えても感じても、夫婦だけでの出産になったのは、息子が、我々以外の人間の手を介在させることを嫌がったからだ。それ以外の理由は存在しない。
この日しか、親子三人での出産になり得なかったから、早めに息子は出てきたんだろう。
普通の人にこの感覚がわかるものなのかわからないが、息子にとっては、産まれてから始めに触れて欲しかったのは私だったんだろう。
お腹にいるときにずっと愉氣していたからわかる。
263日以前に生まれると早産なのだが、数字などどうでもいいのだ、とこの時に直感した。
早産か否かなどたいした問題ではない。
感覚的に通じ合っているかが最重要。
自分からこの世界に出て来るんだ、という勢い。
意思などではなく、勢い。言葉も思考もないのだから、勢い以外にはなにももたない。
勢いがあるなら、数字を無視してよい。
これが整体の原理。
私はこれを感じた。
息子は私にこれを教えたかったんだろう。

それはともかく、この助産師さんの言うことで感心したのは、感情は身体の特定の部分で感じる、という言葉。
ずっと、抱いていて、自分の身体から乳児を離すとき、赤ちゃんは、胸と足で恐怖心を感じるから、胸と足は最後にゆっくりと自分の身体から離すこと、と生まれたばかりの息子を抱いて、布団に降ろして寝かせながら我々に説明した。