2018年1月22日月曜日

韓国

妻の友人夫妻を操法させて頂いた。
奥さんが妻の友人で、その旦那さんが韓国人。
90年代に留学のため来日して、それ以降日本に住んでいる。

操法の以前に、韓国人の身体に興味があった。日本人と違った印象を受けるのかな、と。
事前に師匠に聞くと、操法の上で「スペイン人とかヨーロッパ人もおんなじ人間だから反応は一緒」とのことだったが「外国語の中に居るからストレスで頭が疲れてる」とのこと。

その旦那さんに着手すると、意外にも凄く繊細な感受性をされていてびっくりした。
断定はしないけど、捩れ型というよりは前後型の雰囲気の方だったからか。
それにしてもやはり偏見は良くないなと思った。
着手して相手の身体を感じてみないと、何もわからないままに人生は過ぎていく。

操法を終えて食事をしながら韓国の話を聞いたが驚きの連続だった。

子供の頃、犬の肉を普通に食べてたけど、ある日父が犬を連れて帰って飼い犬を買ってきてくれたと思って「わーい」と喜んでいたら、次の日にその犬が鍋になって出てきた、とか。
犬は裏山で父が殺すんだけど、近所の人も一緒に行って(食べきれないからおすそ分けする)、殴って殺す(絞め殺すと肉が硬くなるから)そして、焚き火で毛を焼いて袋に詰めて帰ってくる。
肝臓は生で食べるから、父の口が血で赤く染まっていて「ドラキュラだ」と思ったとか。
その犬肉を捌く母を怖くて正面から見れなかったとか。
近所のおじさんは猫も殺して食べていたとか。さすがに猫は祟るという観念があるみたいで年寄り以外は食べないとのこと。薬のような感覚で食べていたみたい。猫はさすがに驚いた、と言っていた。
父はネズミも素手で捕まえて殺していた(ネズミは食べない)。
周りの家も皆、犬肉は夏の暑気払いの感覚で食べていた(日本の鰻のような感じで)。
中学生くらいになると、なんとなく自然に「これはおかしい」と感じ出したとのこと。
現在はとくに若い女性が犬食を嫌がるから、男性も女性に合わせるので食べる人はあまりいないと。
でも未だに、路地裏の店に行くと食べられる。ただ表の看板とかには犬鍋のことは書いてないよ。

これが、現在50代前半のソウル生まれの日本に留学できるくらいの社会階層に居た方の思い出だから、田舎の方はもっとすごかったんだろうな、と思った。
まして、北朝鮮は・・・。

また親戚が朝鮮人参を栽培していたのもあって、家にたくさん朝鮮人参があり、子供の頃食べまくっていたと、そして食べると身体が熱くなってくると。
それで自分の唇は赤いんだ、と言っていた。
確かにすごく血色が良い。

声が大きく、話術も巧みで笑いっぱなしでした。

すごく親切な方で、食事後は、「イルミ(ネーション)見に行こう」とわざわざ川崎からお台場まで新車でドライブをしました。
最新の外車の機能もまた凄かった。
新車はすごく快適で、眠ってしまいそうでした。

お台場で、興味しんしんの私は、徴兵された時の軍隊の話を聞いたわけですが、「楽しかったね」とのこと。
「えー!?」と言うと、「今から思い返せばですけど」。

日曜日休みなんだけど、休みの日も自由にできない、お前ら自由にしていいというわけにいかないから、スポーツする。皆若いから疲れさせるほうがよい、でないと、彼女から手紙が来ないとか色々考えておかしくなるやつがいるから。
それで40人くらいでボール3つで一つのコートでサッカーやる。もう無茶苦茶だよ。と言って笑った。
2年半の兵役中、一年に7日だけ休みがあって家に帰れる。だから結構楽だったよ。
今の若い人の方がたいへんだよ、スマホももっていけないから、機密情報とか流出しちゃうからね。

いかにも、という感じではないけど、どこか3種っぽいなと感じていて、感性が柔らかくて大らかだった。
本当に良い人で、お台場で記念撮影して、ぶらぶらしてからまた車でお台場から川崎に送って頂いた。

私は政治問題にもそれなりに関心があり、日韓の政策にも色々と思うことはあるが、整体を志すものとして、自分の手で直接感じたことを優先して自分の思考を組み立てたいものだと思う。
この日は本当に多くのことを学んだ日だった。

2018年1月17日水曜日

『活元操法研究会記録(昭和37年3月20日)』

昭和37年の野口先生の講義。
この頃はまだ愉気が輸気とされている。
講義中「気を送り込む」という言い方をされている。気を何らかの物質に近い存在と認識していて、その輸出入によって、病気を治すといった立場をとられている。
しかし、病人の「早く治りたい」という気に引きずられるのは良くない、とも言っている。
無理矢理はやく治せば、「病気は治ったが体は弱くなった」となり意味がないと。
気とは多義的で、相互的なものであり、不可分であり、個人的なものではなく、ある種、指導者によって制するべきものとして、語られている。

この辺りから、徐々に野口先生の、病、気、病人、触手、に対する認識が変わってきたのだろう。

野口整体をまったく知らない人に、伝えるときに困るのはこの辺で、とにかく時期によって野口先生の思考が変遷しているので、ものすごく伝えづらい。
当然現在の整体協会の整体に対する公式見解は、この頃の野口先生の見方行き方とはまったく違う。

私としてはそれぞれの時期の野口先生の思考と技術の足跡を追っていきたい。
何故こう至ったのかを知りたい。

この講義録で一番気になったのは18頁の、触手時に両手で行え、という記述。
片手で行うと時々相手の異常を貰う、とのこと。
腕や腰が痛くなったり、草臥れたり、風邪をひいたようになったりするという。

輸気の時、両手を置けばそうならないという(しかし何故だろう)。
その輸気にも、送った気をもう片方で感じるのと、能率を高めるためにただ当てておくのと、両手の間で輸気をおこなうのと、三種類あると。

この時の吹き出物の治療で使うために説明している、真ん中で呼吸する方法は一番難しいとのこと。

このような輸気(あくまで輸出入の輸の時代の輸気の話です)の方法は、私は教わっていなかった。
この方法を今現在他の野口整体を教えている道場で教えているのかも知らない。
重要なのは、これらの方法はすべて経験に基づいているということ。
理論が先にあったわけでなく、やってみた結果この方法がうまくいった、ということ。

ところで、私は師匠から、三点目に愉気をする、といわれている。
一点目と二点目(を見極めた後)にそこから手を触れていない三点目に気が響き、そこに愉気をすると。
これは師匠が独自に磨いてきた感覚であり、師匠の師匠である岡島瑞徳先生からは教わっていない、とのこと。

こういったことを最後尾から学んでいる私からすると、結構困ったことになり、どの方法を取るか、と言う話になるわけですが、結局は自分の感覚できる仕方で愉気を行うしかない。
そしてその感覚は私の中でも日々変化し更新されていく・・・。

たとえば本ブログで私が、「愉気をした」と簡単に書いていても、実際はそこに逡巡や含みがあることをご理解いただければ、という思いで、今回は、野口整体を学ぶことと、実践することの難しさを知っていただきたく、古い講義録に言及しました。

2018年1月9日火曜日

お参り

正月にお参りに行ったわけですが、神社仏閣は好きなのでいくつも行きました。

最近は何処で何しても内観をする癖がついているのですが、王禅寺で手を合わせたら、身体の中がからっぽになりました。禅寺だからなのでしょうか。
薬師如来の真言を唱えました。
竹林が美しかったです。竹林同士が風で叩き合う音が好きです。
身体、とくに頭の中がからっぽになる感じがします。

子之神社にも新年のお参りに行ったのですが、こちらは下腹に力が入る感じでした。

弁天様はまた違う感じでした。
 
その場なのか、神様の力なのか、何に感応しているのでしょうか。わかりませんが、受ける感じがそれぞれ違います。

いずれにしても、日本人には必要なもので、その感覚あってこそ信仰の対象になってきたのでしょう。
感覚が消えれば、初詣も宗教行事ではなくなるでしょう。

2018年1月6日土曜日

今年の抱負

よく考えると、このブログも去年の1月に始めたのだった。
やはり多忙でどうしても思ったようにはブログの更新ができなかった。この数年は意図的に自分の考えを発信することは控え、ひたすらにさまざまな勉強と稽古、資料の収集に明け暮れていた。

整体について書くことは難しい。
やればやるほど、深みに嵌るほどに、感覚を言葉に変換することの難しさと無意味さを感じることになる。

野口整体における解釈実践は多様にありうる。
野口先生存命の時代でも、その操法の実際のところは大きく変遷している。

自分は幸運なことに、一番知りたかった戦前の技術と思想について学ぶことができた。
そのことの意味合いや含みは、師匠が長い時間をかけて実践体感し、見出してきたものだった。
おしげもなく私に伝えられる、それらの技をただただ受けとってきた。

本年は未整理のままに受け取ってきた様々な事柄をなんとか言語化し、整理された形で本ブログにて公開していこうと思っています。
そもそも言語化不能な、整体や操法の内実を言語化することは、誤解の森に踏み入ることになるかと思いますが、恐れずにそういった限界を踏み越えていきたい。

本年もよろしくお願いいたします。