2017年10月27日金曜日

野口整体の中腰

中腰を何度でも稽古。
師匠の2側を押圧。
「ああ、これじゃあ指を壊す」
「もっと細く」
どう押さえても無理。

こんどは妻の1側を押さえる。
必死に鼠頸部を締める。
「全然入ってこない」
そこで、師匠が私の後ろに廻り、二人羽織りの形で私の骨盤に触れ、締める。

とてつもない力で骨盤が引き締まる。
足がもたなく、立っていられない。
しかし、指の力が抜け、指が点になる。

その時、さんざん言われていたのはこの感覚かあ、と思った。
その後、もう一度師匠の背中を押さえると、「ああ、少しは点になってきた」とのこと。

野口整体における中腰。
これは完全に非日常の身体操作であって、現在の日本の日常の延長にはこの動きは存在しない。
これは日本の古人の身体の捌きで、とはいえしかし、剣術のように真剣の存在を前提とした身体の操作ともまた違うような感触を受けた。

私の師匠の師匠である岡島瑞徳先生は黒田鉄山先生から古武術を学ばれていて、私の師匠も修行時代、大宮の振武館まで伺い稽古をさせていただいたとのことであった。

整体のほんとうの中腰を体感すると、どうもこの非日常性は、掌を介した感覚と結びついた9種体癖独特の引き締める動作と、また、他者の1側、つまり無意識の領域に直接に入り込む意志によるもので、だから、完全に日本の古人の動きかというとそうでもなく、半分は明治以降の日本の近代人の身体の捌きなのではないか、という印象を抱いた。

古武術はとてつもなく素晴らしいものだし、勉強にもなりますが、整体における身体捌きは整体操法のなかでしか、最終的には学べないのではないか、というのが今の私の仮説。

それにしても、もう明治から100年以上経ってしまった。
平成も来年で終わるとのこと。



2017年10月16日月曜日

伊勢参り

伊勢神宮にお参りに行ってまいりました。
格安の夜行バスで行きましたので体力的には大変でした。
一泊いたしまして外宮内宮と天岩戸、他にも周囲の神社にも参拝させて頂きましたが、ほんとうにすばらしいところでした。
とくに内宮ですが、「正気」という言葉の意味がようやくわかった感じです。
ここはいつまでもこのままであって欲しいと思いました。

2017年10月7日土曜日

続978操法

またまた978操法の稽古。

自分が978操法を行っている動画を自分で観ると、支点が肩にある。
下半身が使えてるつもりでも、使っていない。
棘突起に対して右手がずれてしまう。
右手の密着感が重要。

「吐かせる時に相手の呼吸を破るんだよ」
「点にしたい細くして」
「垂直に線を引き上げる」
「氣がここで切れてる下まで繋がってない」
「水落が抜けてないといけない」

最後、師匠に978操法を行う。
9番で吸わせて、7番へドンッと吐かせたところ。
「殺される~」
と逃げられた。

2017年10月3日火曜日

友人の操法

友人に操法をさせていただいた。
半分稽古を兼ねているので無料です。
場所は師匠の道場をこれもまた無料で提供して頂く。
すべてに恵まれていると思っています。
感謝してもしきれません。

腕を酷使する仕事をされている方でしたので、とくにお疲れだった左腕を中心に操法をしました。

あとで、師匠に報告すると、「(我々を観たときから)左腕をやるだろうな、と思っていたよ」とのことでした。
師匠は私を緊張させないために別の部屋で奥様とおられたのですが、私のやることなすことすべてお見通しということでした。

体勢の氣の形

体勢には氣の形がある。
ということで、計5人で氣の遊び。

それぞれの体勢を調べ、その体勢にのらない椎骨に触れ、他の人はその骨の体勢別の氣の形がまとまる配置に座りなおし、そこで行氣する、という稽古。

左右体勢はやや円形。
上下体勢は頭の上。
生理前の開閉は左側。
捩れ方は頭側と足側で逆側。

ある体勢を全うするということで、次の体勢に向かえる。
真の身体の要求に耳を傾ける。
巷間「体の声を聞く」などと、申しますが、実際には簡単なことではありません。

無形の氣を形として捉え、その形を周囲の人間の配置座り方によって整え、全うさせる。
たいへんに意義深い氣の遊びでした。