中腰を何度でも稽古。
師匠の2側を押圧。
「ああ、これじゃあ指を壊す」
「もっと細く」
どう押さえても無理。
こんどは妻の1側を押さえる。
必死に鼠頸部を締める。
「全然入ってこない」
そこで、師匠が私の後ろに廻り、二人羽織りの形で私の骨盤に触れ、締める。
とてつもない力で骨盤が引き締まる。
足がもたなく、立っていられない。
しかし、指の力が抜け、指が点になる。
その時、さんざん言われていたのはこの感覚かあ、と思った。
その後、もう一度師匠の背中を押さえると、「ああ、少しは点になってきた」とのこと。
野口整体における中腰。
これは完全に非日常の身体操作であって、現在の日本の日常の延長にはこの動きは存在しない。
これは日本の古人の身体の捌きで、とはいえしかし、剣術のように真剣の存在を前提とした身体の操作ともまた違うような感触を受けた。
私の師匠の師匠である岡島瑞徳先生は黒田鉄山先生から古武術を学ばれていて、私の師匠も修行時代、大宮の振武館まで伺い稽古をさせていただいたとのことであった。
整体のほんとうの中腰を体感すると、どうもこの非日常性は、掌を介した感覚と結びついた9種体癖独特の引き締める動作と、また、他者の1側、つまり無意識の領域に直接に入り込む意志によるもので、だから、完全に日本の古人の動きかというとそうでもなく、半分は明治以降の日本の近代人の身体の捌きなのではないか、という印象を抱いた。
古武術はとてつもなく素晴らしいものだし、勉強にもなりますが、整体における身体捌きは整体操法のなかでしか、最終的には学べないのではないか、というのが今の私の仮説。
それにしても、もう明治から100年以上経ってしまった。
平成も来年で終わるとのこと。