息子をスーパーに連れて行くと、走り回って大騒ぎをする。
主に妻が急いで買い物をしている間、私が息子の後を追いかける。
他の家の子で、いま時スーパーで騒いでいるのはほぼ見ることが無い。
うちだけだ。
積んである酎ハイの缶に突撃するのを阻止したり、殺虫剤に触らないようにしたりする。
息子は制止しても聞かない。
突撃する。
息子に触ろうする老人をいなすのも私の役割だ。
これらの疲労はかなりのものになる。
しかしながら、一年ほどこの役をこなしてみえてきたのだけど、実に興味深かったのが、そのスーパーによって息子の氣の上がり方が違ってくるということ。
喜んで、ただ走り回る店、観察しながらポイントポイントに執着する店、ひたすら触りまくる店、などそれぞれ違う。
物品の種類によっての差もあるのだけど、それだけでなく、明らかにその場の空間の氣を感じて高揚感が変化している。
日による差だけでなく、空間の氣の差があることは間違いない。
やはり空間に余裕があり活氣のある店が好きで、その場合は揚がり方が素朴で純度が高い。
息子のおかげでスーパーマーケットにも氣があるという当然のことを再認識できた。
考えてみれば、人間が作っている空間なのだからそれは当たり前のことだろう。
大人はスーパーを選ぶ際に主に値段を見る。
スーパーに行って氣分を替えようなどとはあまり思わない。
特売をしている店に行きたいものだ。
しかし、息子にとっては、スーパーとは主に氣分転換の場所のようだ。
観察していると、子供は常に値段ではなく氣に反応する。
ここは大人が子供から学ぶべき処だろう。