2020年12月25日金曜日

椅子の元型

子供が我々の膝に座る。
一年半を過ぎたあたりからだろうか。
突然座るようになる。

日本人の座法というと胡坐か正座か蹲踞という感じがする。
確かに、教えてもいないのに、私を真似てちょこんと正座もしていて、初めて見たときは感動した。
でも、もっとも子供が馴染む座り方は親の膝に座る型。
親の側は胡坐がよい。
自分が胡坐を組みたいというよりは、子供がそれを要求している。

子供は胡坐の上に、胡坐、というよりは、ふわっと足を弛めて座っている。
やはり椅子に座る時の形がこの型に一番近い。

しかし、親に存在のすべてを預けるようなこの座法は、椅子でもソファーでも大人の座り方としてはまず観ることがない。

ふわっと身体を預けて、後ろに何かを要求する。
大の大人がこの座り方をしていたら、周囲は不快に感じるだろう。

椅子の厳しさとソファーの優しさが、親が子に与える感覚のふり幅で、この全幅を親の膝により、子の身体に伝えるのだろう。

この身体感覚を造形するのが、職人の職能であり、その職能に出会うのが、人生の醍醐味だ。
職人に人生がなければ、この種の作品は創れない。
この触感の造形をアートとはいいたくない。
芸による術といいたい。

2020年12月17日木曜日

リズム

子供が生まれると、夫婦は子供中心になる。
最たるものが睡眠で、朝に子供が起きると、親も起きなくてはならない。

朝はまず子供が起きる。
起きると泣いてわめく。
部屋が暗いのが嫌のようだ。
こっちも起きる。
朝は抱っこから始まる。それから食事の用意をする。
毎日がこのリズム。
独身時代の休日のようにだらだら寝るなんてことはありえない。
無理やり起こされる。
食事の後は散歩、その後昼寝、起きたらおにぎりを食べてまた散歩と食材の買い物、帰って夕食の後に風呂。
子供を寝かしつけて、数時間の自由時間がくるが、翌朝、子供にたたき起こされるので、夜更かしはできない。
できるだけ早く寝る。
毎日がこの繰り返し。

子供のリズムで親が生きることになる。
若返るような感じだが、実際には若くないので、疲労が蓄積されてゆく。

とはいえ、二度寝など許されないので、身体は必然的に引き締まる。
とくに後頭部が。
引き締まっていないと、深夜の夜泣きで1時間も抱っこできない。

上下型の自分は本当はもっと眠りたい。
しかし、今ではもう考えることをやめて子供のリズムに適応した。

子供の律動は自立している。
最初から子供は自立しているようだ。
自分の裡の何かに突き動かされている。
我を忘れている子供を観るのは幸せだ。
幸せに引き摺られて生きているのだから、親としては何も文句はない。