2020年1月5日日曜日

四つん這いから、つかまり立ち

四つん這いから、つかまり立ちまでの動きを整理していく。

最初は全体が連動していません。細部がバラバラに動いていた。
初期の運動は快不快の二種によってのみ方向づけられる。
そこに視覚による全体の統合が生じる。
目が効いてくると身体に上下左右が生じる。

表裏は目ではなく、身体と掌の回転の方が重要だったと思う。
つまり映像を脳内で反転しているのではなく、身体やモノを反転させるという具体的な運動が意味をもっている。
また、表裏は対称ではなく、表でありながら下、であったり、裏でありながら前でありまた善であったりする。
そして、表は常に顔、胸、腹、掌。
裏は常に背中と手の甲である(日本語の「裏」に後頭部や尻は含まれない)。

実際のところ、上下左右前後捩じれ開閉ではなく、表裏による認識が(少なくとも、日本人による)感覚、思考、感情、直観の出発点となる。
余談だが、英語の早期教育は日本人の表裏の感覚に確実に不協和を生じさせると思う。
その結果として、数値上の身体能力と経済力は向上すると思うが、背骨と腹と言葉が別のものに変質する。

よく言われるように、(実物としての)鏡を通しての主体の統合というのものは私が見た限りでは生じなかった。
最初は鏡を怖がっていたが、いつしか慣れた。
最近、鏡に映った自分の唇にキスをしていたが、舐めてみたかっただけでないかと思う。
舐めようとして近づいたら、鏡の向こうも同じようにそうしてきて、キスをしていたのだと思う。
いずれにしても視覚による主体の統合というのは機械的な動きで、そこには氣も心も無い。
ここから脇道に入って主体の構造を探ろうとしても徒労に終わる。
言語の構造と脳の構造が連続していることが確認できるだけだ。

氣にも心にも構造なるものなど無い。
あるのは、無であり虚。
無も虚も構造を支えてなどいない。
支えているのは、寂であり漠。

腰椎3番を捻る運動で、上体と下体が連動してくると、ずり這いをするようになる。
そこから四つん這いの状態からぐっと膝を伸ばして、足の裏を床に着ける動作をするようになる。
この動きで腰椎5番を大いに使うようになる。

手が伸びてくる時期があり、腰椎1番が緊張しだす。そして頸に張りが出てくる。
丁度、腕立て伏せで身体を持ち上げるような感じで頭を上げる。
この時、視界が縦に開けるので、目の動きが速く立体的になる。
目の動きと頸の動きが連動する。
頸の張りと、その人の希望は関連があるが、目と、頸と、希望と、運動が一つながりになっている。
目も手も脳も頸も皮膚も腰椎1番と教わっていたが、なるほど、と思った。
希望は身体の裡から湧いて出てくるようだ。
身体運動と身体感覚を外側から操作すれば、人を絶望に導くことも出来る。
日本の自殺率の高さのすべてを経済的な理由に還元することはできない。

二足歩行に至る前に、つかまり立ちという状態がある。
炬燵があり、その上に上体をのせようとする。
これが、上る時は主に腰椎5番を使うが、下りるときには当然だが、炬燵の端を手でぐーっと掴んでいるので、腰椎1番を使う。
手で炬燵を掴みながら、ゆっくり身体を下ろしていくので腰椎1番を緊張させながら座る。
最初はこれができない。ばたーんと後ろに倒れてしまう。
だけど徐々に手を使えるようになる。
ここで私は、心の裡に頭部への警戒心が芽生える過程と、手と目の新たな用法による天地の感覚の発生と、それらと足を連携する腰の同時発生を観た。

立つのは勢いだけ。座るには頭を使う。座るという行為には最初は必ず大人が介在する。しなければ大怪我をする。
大人になると、立つのも座るのも、一人で出来る、と思うが、実際には大人になっても何処かに座るという行為は一人では出来ない。
その時には、目には映らない他者が常に背中にいて、見守っている。
何故背中かというと、手と目は前には廻るが、後ろには廻り憎いから。
要するに、先祖は背中に居る。前には居ない。前には未来があり、子供が居る。

だから、裏に表があるという感覚が最初期から常に、人間を支えている。
支えているということは支え合っている、ということだ。
恐らく、猿にも熊にもこの感覚は無い。
そして、この感覚が共有できなくなった時に、人間は獣になる。

上がると下りるは全く別の経験で、そのことによって、腰椎1番と5番の転換とそして腰椎3番と4番の引き締まりが生じる。
獲得したのは天地。
意外にも、二足歩行の以前にこの感覚が生じた。
横、という感覚はまだ薄い感じがする。
この時点での腰椎2番はあってないようなもの。

この後、家の子供はピアノを弾いて踊りだしたのだけども、それはまた今度書くことにする。