西洋医学における受胎からの日数。
夜、妻の背骨を観て愉氣をしていますと、様子が違う。
まず妊娠という状態に、背骨が馴染んでいる。
胸椎11番から下の飛出しが、板についている。
だけど、どこかおかしい。
子宮に愉氣すると痛み出す。
数ヶ月前には身体が胎児に抵抗していた。
妻の精神は喜んでいたが、身体は異物を受け入れようとしてもがいている感じだった。腹部第二が固かった。
それから、身体が胎児に徐々に馴染んできて、腹部第二も柔らかになってきて、水落もこれまでにないくらいに弛んできた。
私はその状態にひと安心していたのですが。身体はそこに留まらないようだ。
現在、身体が妊娠という状態に馴染んできたのだけど、今度は新しい硬結が胸椎7番に現れ、腹部第二もまた固くなってきた。
これは元に戻ったというのでなく、身体が異物であるお腹の子に馴染むと、今度はそこまで馴染んだ中で新たに生じた異物感を、さらに拡大するようだ。
どうもそんな感じで、螺旋状に、母と子が馴染むように、異物の拡大と、それを馴染ませる過程が進行するようだ。
馴染んだ極みに出産するのだろうか。異物が拡大された極みに出産するのだろうか。
そのことに正解不正解があるのかもわからない。
最近、私ども夫婦は子供の頃のことばかり思い出している。
どんどんと忘れていた記憶を思い出している。どちらかというと嫌な記憶。
過去を清算する必要があるのだろう。
子供は異物であり、その異物を馴染ませるための集注から、家族と文化が生まれたのか。
だとして、子供にとっての親とは何だろうか。自分は親と兄弟をその最初期にどう観ていたか。もう忘れてしまった。
それを思い出すために、子供と家族を創るのか。