2018年5月23日水曜日

フィリップ・K・ディックの言葉

『現実を操作する基本的手段は、言葉の操作である。
言葉の意味をコントロールできれば、その言葉をつかわざるをえない人間をコントロールできる。』

上記、ディックの言葉なのですが、最近ますます考え込んでしまう。

操法において、ある人間の氣の向かう方向を観て、その方へと誘導したとして、その時にかけた言葉、その言葉の意味そのものが、社会的にコントロールされているならば、支配者層に都合の良い方向にしかその人間は向かえないのではないだろうか?

氣と身体が整えば、現実のすべてが変更される、というのは現代においては思い込みだろう。

もちろん時と場合があるだろうが。
本質的なところで、言葉の意味がコントロールされているならば、氣の誘導や身体の操作だけではその人間の現実を変えるには限界がある。

そこまでを整体に求める人は稀であろうが、野口先生の生きておられた時代とは現在はまるで違っていることは、常に確認しておく必要がある。