2019年3月28日木曜日

子供が産れました

前駆陣痛か本陣痛か分別できなかったため、タイミングを間違い、助産師さんが間に合わず、私が取り上げました。
男の子でした。
現在のところ母子ともに元気です。

夫婦二人だけでの自宅出産ですので、出産直後から炊事洗濯その他のすべてを自分たちで賄わなければならないため、寝る暇も無くすごく忙しいです。

読んでくださっていた方、どうもありがとうございました。ここまでは上手くいきました。
詳細はまた後日書きます。

2019年3月12日火曜日

緊張と恐怖

ある時ある場で私は緊張していた。
緊張しているその時、肩が上がっていた。
ふっと降ろす。
アキレス腱も緊張していたので、踵を弛める。
すると、ふーっと胸が落ちた。
鳩尾が抜ける。

別の時別の場で背中に妙な感覚があった。
嫌な感じが背中に貼り付いている。
よくよく感じると、それは恐怖であった。
背中のある骨を中心に痣のように恐怖の痕がついている。
その骨、その恐怖の痣が、また身体の別の処と結びつき、私にある特定の姿勢をとらせていた。

恐怖、心、動作、姿勢、一体化し浮き上がる。
外からも裡からも、観えないようで観える。
観えるようで観えない。

人間がある姿勢を取る時、もう後戻りができない、と感じる。
一度取ったその動作は、もう消せない。
永久にその人間の身体に刻印されるような気がする。
客観的には、消える。
観えない。
観えなければ存在しない、とされる。
しかし、ある姿勢を取ると、裡側で何かが起きる、と感じる。
他人を観ても、その裡で何かが起きているのは伝わる。何らかの関係性があり、共感でき、感度が高ければ、感応する。

今朝、妻に活元操法をしてもらう。
手を当てられた、その瞬間に、こちらの個人的な身体内の均衡が崩れる。
手を当てる、手を当てられる、のはある均衡から次の新たな均衡に移るためなのだろう。
氣が通るとは、均衡が崩れ、新たな均衡が立ち現れることをいうのか。
そこに重心の移動が付随するとしても、それは副次的なもの。またすぐに崩れるのだから。
整うということは、シンメトリーに至るということではない。
日本の古人はシンメトリーを美としなかった。

ところで、私の緊張と恐怖は何処に行ったのか?

消去されたか、消失したか、移行したか、移動したか、消化したか、昇華したか、転用したか、転換したか、これらすべてか、そのどれかか、これらとはまた別の何かが生じたのか。
動いた、とはいえるだろうが、何処へ……。



2019年3月9日土曜日

10ヶ月目

陣痛らしきものあり。
陣痛とは子宮の収縮のことだそうだ。
この陣痛の間隔が徐々に短くなり、腰椎の3、4、5、と緊張が移行していく。
腰椎5番の緊張と頭部第4の緊張が一致したときに、出産される。
押し出す、というイメージだろうか。

お腹の上部も固くなってきた。
骨盤が限界まで開こうとして、左右の腸骨に痛みが生じる。
問題のある左の股関節だけでなく、右も痛みがあるとのこと。

胸椎11番で動いている。
歩くのも難儀そう。

お腹の子に話しかけるとやはり反応がある。
こちらの話の内容を理解しているかのような反応。
そして実際にわかっているのだろう。

そろそろかなという感じがある。

2019年3月5日火曜日

バースプラン

先日、バースプランという、助産師さん達との出産時のプランについて話し合うお茶会に行きました。

最初、お茶会と言われていて、何でお茶飲むの?
という感じで何をするために集まるのかよくわからなかったんですが、行ってみると、軽くお茶を飲みながらバースプランの話が進みます。
すべてがこちらの望むような出産の仕方でやらせてもらえる感じなので、意外でした。
人間的だなあ、と。
産婦人科(にも色々あるのですが)ですと、ほとんど言われるがままというか、病院というのは有無を言わせぬような感じがありますが、こちらの助産院はほんとうにお茶を飲みながら、なごやかに我々の要求を聴いてくださるので、拍子抜けします。

余談ですが、私の人生は、いかに自分の本心を公言せずに、自分の要求を人知れず達成獲得していくか、といったようなものだったので、最近の私の人生の展開には驚きを禁じえないです。不思議。
昔は、誰も私に興味なく、誰も私の意見を聞くことなく、誰も私の音楽を聴かなかった。
そのおかげでほぼ誰にも邪魔されることなく、好きなことを気ままに探求してこれたわけですが。

閑話休題。
まず、体脂(生まれたときに赤ちゃんの身体を覆っている脂、病院によっては即洗剤で綺麗に洗い落とす)は石鹸で落とさないでそのままに、と言ったら、最近はドライ・テクニックと呼ばれていて、普通に落とさないで、自然に剥落されるままにするとのことでした。
また、赤ちゃんによっては、最初から余り付いていない子もいて、脇とか陰部に少し付いている程度で、どっちにしても自然に落ちる、逆に出血多くて血まみれの場合はどうしても少し拭う必要がある、という話でした。

臍の緒は30分から1時間は切らないで、と言ったら、基本的に、臍の緒に拍動があるうちは切らない、だけど、5分位ですぐに胎盤が出てくる人も居て、その場合、胎盤が子宮から剥離した時点で血管が切れるから臍の緒の拍動も無くなるので、切らないでいるのはいいんだけど、あんまり意味が無いかも、とのこと(野口先生は臍の緒の拍動が止まった後、20分経ってから臍の緒を切る、とおっしゃっています)。

結局のところ、体脂を落とすな、とか、臍の緒は30分から1時間は切らない、とか、そういったことはすべて言葉通りに受け取るようなことでなくて、中心にあるのは出産のその場での漠然とした感覚に於ける即興的な判断を重視しろということなんだな、と私は理解した。

野口晴哉は感覚の人だから、やっぱり何も考えてなかったんだろう。
考えていたら動けない。
野口整体流の出産法にしても、聞かれたから答えただけ、もしくは自分以外の勘の鈍い人間の理解力に即して指針として書き留めた言葉であって、公理ではない、ということ。

今回のこちらの助産院は気負ったところもなく、やりたいようにどうぞそれが当然ですという感じです。
ありがたいことです。

2019年3月2日土曜日

ホームレスの髪

ホームレスの髪がふさふさなのは、髪を洗ってないからだ、という説がある。

先日、妻が、彼らの髪がふさふさなのは洗ってないからだけでなく、本能で寒さを防いでるからだ、と言った。

戯言かもしれないが、真実かも。

私が、こういった直感的な意見を一考の価値あり、と思うのは、ここに科学的な裏付けがないからだ。
シャンプーを使うからハゲるというのは、科学的な因果関係が推察できるから、一見もっともらしい。

本能的に髪の毛で寒さを防ぐという見方に、科学的な根拠は薄い。
しかし、そもそも、このような推論を優雅にする人間の中で、過去にホームレスを経験した人間はまずいない。

ほんとうにすべてを失った人間の心の寒さは、経験してみなければわからない。
化学物質を頭に振りかけてないから、ハゲない、という見方は根拠が薄弱だと私は思う。
そのようなことは、ホームレスに本質的な関心がないから言える事だろう。

彼らの心の裡は、こちら側からは簡単には観ることができない。
心の裡がわからなければ、身体の表層に生じていることも観えない。

2019年3月1日金曜日

聞き分ける

聞き分けて、心が動いている。
言葉と行為が氣でわかる。
感情が動くから胎動する。

母胎内にいるけど、感情がある。
独立しているが、相互性がある。
考えるとすごいことだ。

母とのつながり。
感覚。
聴覚だけは特別に分離している。明らかに母の外にある波長を感受している。

声であり耳であり、だから氣は声にのってやってくる。
氣合に於いて目は耳の外にある。

視覚と思考は無い。
氣で始まる。
目は最後にやってくる。

誕生の時、最初に触れられ触れるのは手だろう。
腹、腰、足、手、は何時つくられるのか、知りたい。