2017年4月20日木曜日

意図と整体

2015年と、2009年に録音していたテープがあり、旅行に行く前にミックスダウンしていた。
全く手をつけていないので、壊れてるかと思っていた機材も動いた。

マスターテープだけ自分のために残して、機材とテープは全て処分しようと思っていたのですが、いまの身体で聴き返してみて、良いサウンドに聴こえた。

数年の時を経ると、当時の自分自身とサウンドとの間の関係を客観的にとらえることができた。
結局、わたしが音楽を通して実現したかったことは、意図を消す、ということだった。

テクノロジーの意図、自身の精神と身体の意図。
その要求の理由はわからない。
しかし、意図が消えると、そこに喜びを感じる。

若い頃と自身の志向が変わってしまっていて、最近は芸術や哲学よりも、自然に関心がある。
自身を取り巻く、環境や身体のそれそのもの。

文化が生まれる、それ以前の処に触れたい、認識したい、操作したい、という要求。
2017年の宮古島周辺の離島にはまだそれがあった。
容易にそこに触れることができた。
ただ、それほど、遠くない未来にそれらは消滅してしまうのではないか、という予感にも触れた。
現地の方々が、宮古島や伊良部島の変化に対する不安を口にしていた。

自分が何を求めているのかいまだはっきりしないが、整体を志す、というその気持ちがいまの自分の生活の核になっている。

意図を消したいという要求と、整体を志すことの関係は、いまだ自分でもよくわからない。